「教えないでください」-国際生涯柔道セミナーに参加して-
2023年7月23日、埼玉県立武道館にて、同武道館及びマーヤ・ソリドーワル氏(津田塾大学准教授)が主催し、国際生涯柔道セミナーが開催された。ゲストにドイツの指導者、そして100名を超える参加者、うち10~20%は海外からの参加者であり、午前にシンポジウム、午後に体験型ワークショップという構成で、通訳者の協力により英語と日本語で行われた。その概要はこちらの特設ページにあるが、以下、一参加者として印象に残ったことを記していきたい。
シンポジウム
「戦後ヨーロッパにおける指導法の展開」(マーヤ・ソリドーワル氏)では、主にドイツの指導法の歴史が語られた。ドイツ統一前、西ドイツは子供の教育として指導法を研究、東ドイツは国際大会で成績を残す指導法を研究しており、ドイツ統一後は両者を取り込んで指導法も統一された。さらに、2000年代からは青少年だけでなく、中高年を対象とした指導法を取り入れて、青少年のスポーツから生涯スポーツへと変化している。
印象深かったのは、ドイツの方針について、スキルの獲得を強調する「スキルモデル」から、特定の場面での行動を強調する「コンピテンシーモデル」に変化しているという点である。「コンピテンシー」は国際学力調査(PISA)などの文脈で教育の目標としてよく耳にするワードである。時間がないため詳しく伺うことはできなかったが、柔道の目標という文脈にも登場したことは示唆に富む。
「嘉納治五郎の柔道指導から考えた柔道指導法」(ヴォルフガング・ダックス=ロムスウィンケル氏/Wolfgang Dax-Romswinkel氏)では、
- ドイツにおいてサッカーなどで開発された初心者向けの指導法が柔道でも活用されるようになったこと、
- その指導法とは、あるスキルを教えてそれを反復練習する、というものではなく、初心者でもゲームを楽しむことができる状況を作って、その状況を解決するために奮闘しているうちに自然とスキルや戦術の理解が進むというもの、そして、
- 嘉納治五郎が「柔道一班並二其教育上ノ価値」を講演したとき、柔道の知育の側面を上げたが、このドイツの指導法はその趣旨に適うことなどについて語られた。
この指導法は後半の体験型ワークショップで実演されたので、そちらで述べたいと思うが、「この手法が広がったら「柔道をもっとやってみたい」と思う人が確実に増えるだろう」と思わせるものであった。
「柔道・剣道人口の減少と武道教育の硬直化」(坂上康博氏)では、
- 学校体育の目的は子供の生涯スポーツを実現する点にあるが、授業で柔道や剣道を学んでも、それをする人は減り続けている。これは柔道や剣道の本質的な魅力を子供に伝えることができていない、つまり、その目的に適った指導法が開発されていないからではないか。
- 新しい指導法の開発が必要であるが、武道の必修化によって日本の「伝統」を学ぶという建前になったので、「伝統」を変えることができず、停滞しているのではないか。
という趣旨の問題提起がなされた。
剣道を専門とする坂上氏が、ドイツの指導法を聞き、ドイツで初心者に柔道の本質的な楽しさを教える指導法が開発されていることに驚いた、保守的な剣道ではこの国際生涯柔道セミナーのようなイベントは企画されないかもしれない、柔道がうらやましいと思う、という趣旨のことをお話されたことが印象的だった。
最後に、「柔道けんこう体操から考えた生涯柔道の必要性」(森脇保彦氏)では、高齢者の転倒予防としての柔道の活用の可能性について解説がなされた。柔道けんこう体操には、二人で組み合って投げずに体捌きで相手を崩すことを楽しむプログラムがある。転倒予防というと受身がすぐに思い浮かぶが、柔道の技術の核心ともいえる体捌きで相手を崩す技法が転倒予防になるという点はこれまで注目されていなかったのではないだろうか。森脇氏によると、これは高齢者の転倒予防だけでなく、競技スポーツに取り組む青少年が体捌きによる崩しを学ぶ練習としても効果的であるという。午前は講演形式であったが、午後の体験型ワークショップではこの柔道けんこう体操、投げない柔道が実演された。
以上が午前のシンポジウムの概要である。
体験型ワークショップ
午後は体験型ワークショップである。①「固め技と投げ技の段階的な指導法」と②「柔道けんこう体操」が同時並行で行われ、最後に、③「乱取りと柔道遊び」が行われた。
①「固め技と投げ技の段階的な指導法」について、シンポジウムで講演されたヴォルフガング先生により、固め技、投げ技についてそれぞれ指導法が解説された。
固め技・「探究学習」的指導!?
まず固め技について。
初心者が柔道を始めたとき、固め技をどのように教えるだろうか?筆者の見聞きする限り、一般的には、袈裟固め、横四方固めなどを技を教えて、その反復をしながら形を覚える、というものではないだろうか。
他方、このワークショップでは、スキルを教えてそれを反復する、という指導ではなく、初心者でも楽しめる状況を作り、子供が自らその状況を解決していき、そのプロセスでスキルを獲得していくという指導が実演された。
具体的には、二人組になって、受、取ともに両手で自分の帯を握り、両手を使えない状況にして、取は受を横四方固めに類似した状態で抑え込む。受が仰向けになり、取がその上に胸で受を抑え込む状態から始まり、受が仰向けからうつ伏せになったら勝ちとする。
指導者はどのように逃げたらいいかは教えない。ゲームが始めると、受は様々な方法で逃げようとする。何度か繰り返しながら、その都度、指導者は生徒を集めて、どのようにして逃げることができたかを聞き、成功した受の生徒はそれを実演する。他の生徒はその生徒の逃げ方を見て、自分なりに取り入れてやってみる。
繰り返していくうちに、受の生徒はいくつかの動き方のパターンを得る。そこで指導者は「それを組み合わせ動いてみたら」というアドバイスを入れ、受の生徒がそれを試行錯誤してみる。次第に柔道っぽい動きになっていく様子が不思議だった。
また、指導者は「取」についても、「どのような動きをしたら、どのような位置であれば取は受を抑え込むことができるだろうか」という問いを発して、取の生徒は試行錯誤する。同じように指導者は、生徒が自分で見出した回答を他の生徒に共有しながら、進めていく。例えば、取は、受のお腹の部分を抑えるより、胸の部分を抑えたほうが受の動きを制限できることに自分で気づくのである。
この状況、このルール(受、取、ともに両手が使えない)での身体の使い方を覚えたら、次は、状況を少し複雑にする。ワークショップでは講師が、受の足で取の足を絡めたら受の勝ち、という新ルールを設定した。すると、受は取の足に絡めようとし、取はそれを避けようと試行錯誤し、より柔道の寝技に近い動きになっていく。
このように、最初に、技術や戦術も何も知らない初心者でも楽しむことができる単純な状況を作り(両手は使えない、受がひっくり返ったら勝ち)、生徒は自らこの状況を打開するため試行錯誤し、次第に自らスキルを獲得していく。そして、新しいルールを加えてその状況を少しづつ複雑にし、生徒はその課題解決に取り組む中で、段階的にスキルを自ら見つけて獲得していく。
印象的だったシーンは、引率している先生たちが、所属の生徒らのゲームの様子を見て、つい「違うよ。こうするんだよ」と身体の使い方を教えたとき、ワークショップの指導者が「教えないでください」と話したことである。
指導者が正解を教えると、生徒が自分で正解を見つける機会を奪うことになる。先生が技術を教えてその技術の反復練習をさせる指導との違いが現れた瞬間だった。
なお、この指導法・学習法は、学校における「探究学習」と共通する部分が多いように思った。単純に言うと、学習には、先生が教えて生徒がそれを学ぶ「教科学習」、生徒が自分で課題を見つけて主体的に課題解決に取り組む「探究学習」がある。2020年の教育改革から学校にアクティブラーニングが導入されたが、現在の教育の主要課題の一つは主体的に取り組む人間を育成することである。先生が教えることを単に記憶するのではなく、主体的・対話的に学んでいくことが求められているが、シンプルなゲームを通じて柔道的な動きを自ら見出していく様子は、探求学習的であり、生徒の主体的、対話的な学びが育まれているように見えた。
投げ技・「スモールステップ」
もっとも、すべての指導をそのようにしたらいい、という趣旨ではない。講師からは、上記のように生徒がゲームを楽しみながら自分で正解を見つけていく指導のほか、しっかりと正解を教える指導も必要であり、両者のバランス、見極めが重要であることが語られた。
投げ技のワークショップでは、上記の正解を教える指導法として、投の形にある隅返しと内股がケーススタディとして上げられた。
それでは、投げの形の隅返しや内股を教えるとき、どのように指導したらいいのだろうか。様々な指導法があると思われるが、見聞きする限り、動画を見て、その動きを最初から最後まで真似てみる、それを反復しながら少しづつ修正していく、という形が多いのではないだろうか。
しかし、ここで話された指導法は異なっていた。
隅返しについていうと、①スモールステップ(動きの要素や状況を分解して)で、かつ、②最初の部分から始めるのではなく、最後の部分から始める、という形で指導が行われた。しかも、記憶する限り、講師は、以下の通り、7つ以上の場面・動きに分解して説明していた。
- 隅返しでは、受は足を一歩前に出して、前回り受身を取る。そこで、受が一人で足を一歩前に出して受身を取る、
- 受と取が二人組みになって、取が受の両襟をもって後ろに倒れて(足を使わず)、受が受身を取る
- 受は上記の2の動きに隅返しの足の動きを加えて行う、
- 取が後ろに倒れるとき、受が崩れるタイミングであることを説明して、取は受を崩したタイミングで足の動きを入れる
- これまで取は受の両襟をもっていたが、ここで、取は、形での隅返しの手の持ち方で行う。
- 1~5はステップなしで行われていたが、ここからステップの解説が始まる。この隅返しのステップを理解するため、取が後ろに下がったときに受を投げる。
- 取が後ろに下がったとき、6のとおり、受を投げようとするが、それを受がこらえる。そのタイミングで隅返しの動きに入ることを説明し、一連のステップを入れて行う。
上記のように、動きを分解して、かつ、最初のステップからではなく、最後の投げるところから遡って学んでいくと、技への理解が進み、かつ、動きの習得が早い。
また、内股については、スモールステップで、かつ、今度は後ろの部分からではなく、最初の部分から指導が始まった。隅返しと異なり、内股は最初の動きから説明したほうが分かりやすいとのことであった。
なお、動きや理合いをよく理解していなければ、スモールステップに分けることができない。講師であるヴォルフガング先生はヨーロッパ柔道連盟の形委員会の委員を務めているが、参加した日本の指導者らは、講師の形への造詣の深さ、熟達した指導法に驚いていた。
このほか、同時並行で行われたワークショップ②「柔道けんこう体操」では、上記の写真のように「投げない柔道」を参加者同士で行ってみたり、③「乱取りと柔道遊び」では、寝技につながるような運動遊び、立ち技のステップにつながる運動遊びなどが行われた、参加者が夢中になって笑顔で取り組んでいた。
簡単なまとめ
本セミナーに参加して、正解を教えるのではなく、生徒が夢中になって課題解決をしているうちに正解やスキルが身についているような指導法であったり、動きや場面を分解して、スモールステップで教える指導法など、目から鱗が落ちるような学びを得ることができた。
素人目には「このような指導法が日本でも広く行われるようになったら、柔道を始める人、柔道を楽しむ人がもっと増えるのではないだろうか」と思わせるものであった。
見聞きする限り、例えば、初心者に柔道の楽しさを効果的に伝える指導法を学ぶ機会や、高齢者向けの柔道プログラムを学ぶ機会はなかなか見当たらない。今回、「生涯柔道」をテーマとした国際セミナーが開催され、子供から大人まで、年齢と国籍を問わず、100名を超える人々が参加したことは画期的であると思った。
ドイツは生涯柔道に舵を切ったそうだが、日本のほうはどうだろうか。今後、組織的な対策が講じられ、指導法や学習法が刷新されていくのか、それとも、シンポジウムで坂上先生が問題提起されたように、「伝統」を変えることは難しいので、このままの状態であるのか、未来は分からない。
もっとも、このセミナーが実施に開催され、100名を超える国内外の人々と「生涯柔道」を共に学び合ったことには大きな希望を感じている(文責・酒井judo3.0)。
ご参加者の感想など