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日韓の架け橋をつくる。ある韓国の柔道家の挑戦

【神奈川県の柿生青少年柔道会で指導のお手伝いをしているヒョンミン先生(中央・青色の柔道着)】

日本と韓国の柔道交流をコーディネートされている柔道家がいます。

韓国ソウル市近郊に在住のヒョンミン先生は、2012年ころから、年に1,2回、韓国の柔道関係者を連れて日本の柔道クラブを訪れ、2016年ころからは、日本の柔道関係者が韓国の柔道クラブを訪問することをサポートしています。

ヒョンミン先生は何故このような活動をされているのでしょうか?どんな魅力や可能性を、柔道に、そして日韓交流に見出しているのでしょうか。3.0マガジン編集部(担当:酒井重義)は、ヒョンミン先生、そしてヒョンミン先生が訪れている日本の柔道クラブの一つ、柿生青少年柔道会の指導員である木村有孝先生にインタビューをさせていただきました。

<目次>
  • 貿易とスポーツ通訳
  • 柔道に熱中したきっかけ
  • 柔道学科のある大学へ進学
  • 初めての異国、日本留学
  • 柔道を再開
  • 日本の柔道クラブを訪問できなかった理由
  • 日本の柔道の先生との出会い
  • 日韓柔道交流をコーディネートする理由
  • 日韓の関係について
  • 柔道の魅力
  • これからの活動
  • 受け入れ先の日本の柔道の先生へのインタビュー

ヒョンミン先生へのインタビュー

貿易とスポーツ通訳

編集部:ヒョンミン先生、お忙しいところお越しいただきありがとうございます。もしよろしければ、簡単に自己紹介いただけますでしょうか。

ヒョンミン先生:私は、韓国と日本、そして韓国とアメリカ、ドイツなどの間での貿易の仕事、そして、日本語と韓国語の通訳の仕事をしています。通訳ではオリンピックやアジア大会などスポーツ大会をお手伝いすることが多く、先日の平昌オリンピックでは、日本のメディアから依頼をいただき、韓国のオリンピック選手へのインタビューの通訳をさせていただきました。

貿易と通訳の仕事があるため、年に数回は日本を訪れており、そのことがご縁になって、日本で柔道をしてみたい韓国の柔道関係者や、韓国で柔道をしてみたい日本の柔道関係者のサポートをするようになりました。

柔道に熱中したきっかけ

編集部:ヒョンミン先生と柔道とのかかわりについて教えてください。

ヒョンミン先生:私は韓国のソウル市で育ったのですが、中学1年生のとき、ソウル市にある柔道クラブに通い始めました。片道1時間以上かかる道場だったのですが、当時は漠然と「強くなりたい」「ケンカに負けたくない」というような感じで、身体を鍛えようと思ったのがきっかけです。

中学1年生のときは週1回行くぐらいで、そんなに熱心ではなかったのですが、大きな転機になったのは、中学2年生のとき、ソウルオリンピックを観たことです。

ソウルで開催されたオリンピックだったのでとても盛り上がっていて、私はたまたま親戚がチケットを手に入れることができて、ベン・ジョンソンとカール・ルイスの陸上100メートル走を観ることができました。

残念ながら柔道はテレビで観たのですが、その柔道の試合に大きな影響を受けたのです。とくに、軽量級、60キロ級の試合、韓国の金載燁選手、アメリカのケビン・アサノ選手、日本の細川伸二選手がそれぞれ金、銀、銅メダルを取ったのですが、
その軽量級の選手のスピード、一瞬で相手の選手が宙を舞う、その柔道の技に魅了されました。

当時は柔道のほか、ボクシングも練習していたのですが、同じ一瞬でも、ボクシングはパンチが当たるだけですが、柔道は相手を飛ぶ、その一瞬の衝撃が大きかったのです。

そこから柔道に熱中し、中学2年生から高校3年生のときまで、週3回ぐらいは近隣の道場にいって稽古し、残りの日は自宅の近くでチューブを使った打ち込みなど自主練をしていました。

ただ、私が進学した高校は勉強中心で運動が盛んではなく、柔道部もありません。ソウル市の柔道大会に出場しても、体育専門の高校の柔道部の生徒には勝てなかったのですが、いま振り返ると、それでも充実していたと思います。

それは、当時、受験競争がとても盛んで、勉強をして偏差値を上げていい大学にいかなければならないというプレッシャーがあったのですが、柔道の稽古をしているときはすべてを忘れることができて、とてもいい時間だったからです。

そういえば、高校2年生のとき、バロセロナオリンピックをテレビで観たのですが、古賀稔彦選手の試合は圧巻で、あこがれました。

柔道学科のある大学へ進学

編集部:高校を卒業されてからはどうされたのですか?

ヒョンミン先生:私は「早く社会に出て働きたい」と思い、高校を卒業してから働き始めたのですが、学歴がないといい仕事に就けないということを痛感し、半年以上働いた後、大学に進学することにしました。

そのとき自分が行くことができる大学を探していたところ、京畿道、ソウル市の周辺の地域で、日本でいう神奈川県のようなところなのですが、龍仁大学校という大学があって、そこ柔道学科があることを知りました。

柔道の稽古をしていた自分なら入学できる可能性があるのではないかと思い、受験したところ、入学することができました。大学では柔道の実技のほか、運動生理学などいろいろ学びました。

また、韓国では、就職に向けて、英語のほか、中国語など第二外国語を学ぶ人が多いのですが、私は、柔道をしていたこともあって日本語を学ぶことにしました。そこで、近所の日本語学校に通い始め、大学の授業に加えて、日本語の勉強をはじめました。

大学2年生のとき、兵役があるため軍隊に入隊したのですが、途中で病気になってしまい、除隊することになりました。
このとき、これからどうしようか、いろいろ迷ったのですが、日本語を勉強していたことから、せっかくなのでもっと学ぼうと思い、東京にある日本語学校に留学することにしました。

初めての異国、日本留学

【1997年ころ、日本に語学留学していたときのヒョンミン先生】

編集部:日本での留学はいかがでしたか?

ヒョンミン先生:もう20年以上前になりますが、たしか1996年12月から1998年2月まで、1年2か月ぐらいを東京で過ごし、一生懸命、日本語の勉強をしました。

日本で暮らすことは本当に新鮮な体験でしたね。高田馬場の近くにある日本語学校で、半年ぐらい寮に住んだのですが、寮では、日本語を学ぶために様々な国からきた留学生と一緒に生活してました。

そういえば、家事とか掃除、片付けについて、文化の違いなどもあって、「なんでキレイにしないんだ」とか、言い争いみたいなものもありましたね(苦笑)。懐かしい。その後は地方から東京に引っ越してきた日本人の友人とルームシェアをしていました。

そのときは勉強をして、アルバイトをして、という生活でいっぱいいっぱいだったので、あまり柔道はできなかったのですが、柔道着は韓国の実家から取り寄せていて、持っていました。

その後、韓国に戻って大学に復学して、就職活動をはじめたのですが、ちょうどアジア通貨危機のときで、就職活動は大変でした。ただ、運よく日本のアニメ関連のグッズを韓国に輸入する会社に就職することができ、日本語を活かした貿易の仕事をするようになりました。その後、いくつかの会社を転職しますが、いずれも貿易の仕事でしたね。

柔道を再開

編集部:仕事をはじめられてから柔道は続けていたのでしょうか。

ヒョンミン先生:仕事を始めたら何かと忙しくて、8年ぐらいはなかなか柔道ができませんでした。転機になったのは、体調を崩したことです。貿易関係の仕事は営業が多いため夜が遅かったり、急な出張が多かったりと、不規則な生活だったため、体調を崩してしまいました。そのとき、仕事ばかりをする生活をやめ、健康な生活をしようと思い、自分のペースで仕事ができるよう会社を退職して、フリーで貿易関係の仕事をはじめたのです。

そして、自分の健康のため地元の道場に通い始め、柔道を再開しました。さらに、道場の先生が、私が龍仁大学校の柔道学科を卒業していることを知って「指導を手伝ってほしい」と言われ、大人の生徒のみなさんへの指導の手伝いもはじめました。

日本の柔道クラブを訪問できなかった理由

編集部:8年ぐらい経ってから、韓国で柔道を再開されたのですね。お仕事で日本への出張のとき、日本の柔道クラブにも行ったのですか?

ヒョンミン先生:残念ながらそうではありません。私は、日本にもよく出張していたことから、「日本でも柔道をしてみたい」と思っていたのですが、日本に知り合いはいても、柔道関係の知り合いはいませんでした。

日本に住んでいるわけではなく、仕事の出張で日本に行くことから、訪問する時期も訪問する地域もバラバラです。普通の生徒のように、柔道クラブに入会して、定期的に稽古をするっていうことができません。

だから、ツテもないのに、外国人が日本の道場に行って、「次は何時くるか分からないのですが、今日だけ稽古をさせてほしい」というのは、道場に迷惑をかけることになるのではないかと思い、日本の道場に行くことはできませんでした。

日本の柔道の先生との出会い

編集部:そうだっだったんですね。確かに、短期の滞在のとき柔道できる環境というのはなかなかないですね。どんなきっかけがあって、日本で柔道をできるようになったのでしょうか。

ヒョンミン先生:きっかけは、旅行でソウルを訪問されていたある日本のご夫婦のガイドをしていたときででした。旦那さんのほうが体格がよかったことから、奥さんに対して、「旦那さんは何かスポーツをしているのですか?」と伺ったところ、「うちの旦那は柔道の先生をしているんです」という返事があったのです。

そこで、自分が柔道をしていること、日本に行ったとき柔道したいと思っていたことを話したら、その旦那さんは和歌山の柔道の先生だったのですが、「うちの道場はいつでもウエルカムだよ。見にきたらどう?」と誘っていただきました。

このことがきっかけになって、和歌山の道場に行かせていただき、そこから日本の柔道関係者の知り合いが増えて、大阪の講道館柔道センターさまや、神奈川の柿生青少年柔道会さまなど、いくつかの道場で柔道できるようになりました。

日韓柔道交流をコーディネートする理由

編集部:ご自身が日本で柔道できるようになったんですね。それでは、自分だけではなく、お知り合いの韓国の柔道関係者に日本の道場を案内するようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

ヒョンミン先生:私の周りの韓国の柔道関係の友人が、私が日本で柔道していることを知ると、「自分も日本に行って柔道をしてみたい」と言うようになりました。また、私の周りの日本の柔道関係の友人も、私が韓国からきて柔道をしていることを知ると、「韓国にいって柔道をしてみたい」と話してくれるようになりました。韓国の柔道家、日本の柔道家、お互いに関心をもっているんですね。ただ、接点がないから、行くことができない。

思えば、それは自分の以前の状況と同じでした。私は、日本に何度も仕事で来ていたのに、ツテがなくて、柔道ができなかった。たまたま和歌山の柔道の先生と出会い、誘ってもらったから、日本で柔道ができるようになったのです。そこで、私も何かサポートできたらと思い、韓国の知り合いに「日本に行って柔道をしてみない?」と声をかけるようになり、「日本に行きたい」っていう方を日本の道場に案内するようになったのです。

2012年ぐらいから、毎年に1,2回、少ないときは1人、多いときは5,6人の韓国の柔道関係者を連れて、日本の道場で稽古させてもらってます。また、最近は、「韓国の柔道クラブに見てみたい」という日本の柔道の先生を韓国に案内していて、「韓国に来てよかった」「またここのクラブにきて練習したい」とか言ってもらえたときはうれしいですね。

日韓の関係について

編集部:日本に留学され、お仕事でも日本と関わり、日韓の柔道交流をサポートされているヒョンミン先生からご覧になって、日本と韓国の関係をどのように捉えていらっしゃいますか。

ヒョンミン先生:韓国と日本はいま政治的にいろいろ対立している部分があると思います。しかし、それは政府と政府の間の話で、一般の人々の間の話ではないと思っています。

私は、初めて日本にきて東京に住んだとき、日本の人々、そして東京にきていた世界の人々と直接話をして、自分の世界が大きく広がりました。

直接体験すること。

これがもっとも大事なことだと思っています。ちょっとでもお互いに興味や関心があるならば、直接行ってみること。実際に人と接点をもったら、お互い、もっともっと交流したいと思うようになると思っています。

私は、韓国と日本を行き来したことで、自分の周りに「日本にいって柔道をしてみたい」「韓国にいって柔道をしてみたい」という韓国と日本の知り合いがたくさんいます。

韓国と日本の架け橋といったら大げさなのですが、彼ら彼女らの想いをかなえてあげたい。一つの交流ができたら、お互いもっともっと交流したくなって、それが広がっていくんじゃないかなと思っています。

柔道の魅力

編集部:ヒョンミン先生は、柔道の魅力はどのあたりに感じていらっしゃいますか?

ヒョンミン先生:私は、中学生の時から柔道を始め、大学は柔道学科に行き、社会人になったときはちょっと間が空きましたが、長く柔道に関わってきました。私は柔道によって人間が形成されたようなものです。私にとって、柔道は自分が人生で迷子になったとき、どの方向に行けばいいか教えてくれる「羅針盤」のようなものでした。

柔道をして一緒に同じ汗をかく、同じ喜びを感じる、そこに一体感がありますよね。国籍の違いを乗り越えた一体感があります。自分たちは、国籍が違っても、同じ柔道家なんだ、一緒なんだ、と感じることができる。そこに柔道の魅力を感じています。

これからの活動

編集部:これからどのような活動をお考えになっていますか。

ヒョンミン先生:いまは、韓国、日本、それぞれ大人の柔道家の交流をお手伝いしていますが、将来、子どもたちの交流のお手伝いができたらと思っています。

韓国の道場に行っても、日本の道場に行っても、子どもたちはやっぱりかわいい。

私は、日本に行くことで、自分の世界が大きく広がりました。同じように、韓国の子どもたちに日本に行くチャンスがあったら、そして、日本の子どもたちが韓国に行くチャンスがあったら、子どもたちの世界は大きく広がると思います。そのお手伝いを将来できたらと思っています。

受け入れ先の日本の柔道の先生へのインタビュー

【柿生青少年柔道会の稽古に参加するヒョンミン先生(左・青色柔道着)】

編集部:ヒョンミン先生は神奈川県の柿生青少年柔道会によく訪問されていると伺い、柿生青少年柔道会の指導員である木村有孝先生にお越しいただきました。木村先生、ヒョンミン先生とはどのような出会いだったのでしょうか。

木村先生:ヒョンミン先生とは、私が2000年に韓国を訪問したときに友人の紹介で知り合い、ソウルを案内をしてもらったことが最初の出会いでした。その後、2012年に、12年ぶりに再会し、私が柿生青少年柔道会の指導員をしていたことから、うちの道場に遊びにきていただきました。もう10回ちかく、道場に来てくれていると思います。

編集部:海外の柔道家が道場にくる機会はなかなかないと思うのですが、いかがだったのでしょうか。

木村先生:韓国の文化の特長でもあると思うのですが、ヒョンミン先生は礼儀正しく、とくに年配の先生への敬意がとても厚く、うちの道場の年配の先生は「昔の日本にはこういう良さがあったのになあ」と話されたりしています。

あと、道場の生徒はヒョンミン先生と仲良くなっていて、ヒョンミン先生がきたときは、「アニョハセヨ」とハングル語で挨拶しています。ヒョンミン先生は流暢な日本語で「こんにちは」と挨拶しているのですが(苦笑)。

編集部:ヒョンミン先生がいらっしゃったことで何か変化がありましたか?

木村先生:道場の生徒にとって、外国というととても遠い存在だったのですが、ヒョンミン先生に何度も来ていただいているので、韓国がとても身近な感じになりました。自分たちも気軽に行けるような近さや親しみ、そしてヒョンミン先生が一緒だったら大丈夫という安心感があり、何名かの生徒が「韓国に行ってみたい」というようになり、実際に韓国に行くことを計画しています。

編集部:生徒から「韓国に行こう」という話がでてきたのですね。

木村先生:はい。知り合いができて、知り合いのいるところに行ってみたいと思う、それが海外だった、というように、とても自然な感じで国際柔道交流が始まっているので、素敵なことだと思っています。

もともと私は、子どものころ、マレーシアに住んでおり、マレーシアの道場でマレー人、中国人、インド人、アメリカ人等と日常的に交流する機会がありました。日本に戻ってからも、韓国やベトナム、フィンランドなどから来た方々と柔道交流することができました。

これは本当に素敵な経験です。道場の生徒にも、柔道を通じて知り合いが増えて、世界が広がる経験をしてほしいと思っているので、指導員として、道場がそのような場になるよう、海外の柔道家を積極的に受け入れていきたいと思っています。

編集部:ヒョンミン先生、木村先生、お忙しい中、インタビューにご対応いただき、本当にありがとうございました。

【ヒョンミン先生(左)と木村有孝先生(右)】

Hyongmin Lee 先生(左)

ヒョンミン・リー先生。韓国ソウル市生まれ、中学1年生から柔道を始め、龍仁大学校の柔道学科を卒業。日本に留学経験があり日本語堪能。貿易や通訳の仕事をしながら、日韓柔道交流のサポートをしている。

木村有孝先生(右)

子どものころマレーシアで柔道を学ぶ。柿生青少年柔道会(神奈川県)指導員。社会福祉士・介護福祉士。

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