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子どもの運動能力の低下と遊び場としての町道場の可能性

三重県の芸濃柔道クラブの指導者として10年近く子ども達と接して来た中で強く感じることがあります。特に低学年の子を見て思うことです。それは、運動能力の低下している、自分の身体を上手く使えていない、柔軟性がない、そして元気がないということです。

報道によると、小学生の運動能力は昭和60年ごろから現在まで低下傾向が続いている状況のようですが、私は目の前の子どもの変化を実際に感じ、危機感を感じるようになりました。そして私なりに模索し、試行錯誤した結果、自分が考えていた道場のあり方や柔道教育のあり方を見直すことになりました。

そのきっかけは後半にふれますが、「遊び」がキーワードになると考えてます。

「遊び」の可能性

なにより、身体を自由に動かすことを好きになってもらいたいなと思いました。芸濃柔道クラブの稽古は週に二回、一時間半ですから、限られた時間の中で柔道の補強運動を多めにしたり、走るのをスキップに変更したり、休憩時間は自由に遊ばせたりと色んな動きを取り入れる工夫をしております。私たちも子ども達もワクワク、ドキドキって大好きですよね?

例えば、平成23年の「幼児の運動能力における時代推移と発達促進のための実践的介入」という1万2000人の保育園・幼稚園を研究した報告によると、1)保育園・幼稚園で「一斉保育」と「自由保育」を比較した場合、遊びを含んでいる自由保育のほうが運動の能力が高かった、2)「態度やルール順守」を重視する運動指導より「運動を楽しむこと」を重視しているほうが運動能力が高かった、ということが示されています。

2)園の心理社会的環境による運動能力の比較
保育形態に関しては、一斉保育と自由(遊び)保育がほぼ半々の園が他の園に比べて有意に運動能力が高く、一斉保育中心の園が最も運動能力が低かった。この結果は前回の調査(2002 年)と同様に、保育形態の中に自由(遊び)が含んでいる園ほど運動能力が高いことを示した。(中略)さらに、異年齢間の交流が「とてもよく」ある園の方が「ときどき」しか交流のない園に比べて有意に高い結果を示す一方で、クラス構成に関しては、縦割りと学年毎で運動能力に違いは認められなかった(19頁)

(1)運動指導について
運動指導をしているとき一番重要な目的に関しては、「運動を楽しむこと」を重視している園が最も運動能力が高く、次いで「体力・運動能力の向上」を重視している園、「態度やルール遵守」を重視している園の順であった。また、保育活動の中で「運動指導を行っていない」園の方が、「行っている」園よりも運動能力が有意に高かった。このことは、幼稚園側で積極的に運動指導を行わない方が運動発達にとっては良い影響がある可能性を示唆している。(20頁)

SAQトレーニング

幼少期から「遊び」の中で身に付く身体能力や創造力をもっともっと引き出してあげるのが大人の責任ではないのかと感じ、そのため指導者である自分が学ばなければならないと思い、2017年、特定非営利活動法人 日本SAQ協会の SAQレベル1インストラクター資格を取得しました。

「SAQ」とは、S=スピード(重心移動の速さ)、A=アジリティ(運動時に身体をコントロールする能力)、Q=クイックネス(刺激に反応して早く動き出す能力)を意味していて、代表的なSAQトレーニングには、ラダー(ハシゴの様なマス目)を使ったトレーニングや、ミニハードルをたくさん並べて走り抜けるトレーニングがあります。

最近のプログラムで人気だったものは、ボールを使って行う「ダルマさんが転んだ」です。

  • ルールは、ボールが手から離れている時は動いてOK(上に投げたり、下に突いたり)
  • 毎回動き方は最初に決めておきます。1回目は前進ダッシュ、2回目はバック走、3回目はサイドステップ、4回目は両足飛び(ケンケン)など。
  • ※自分の名前を片足立ちで脚を使って出来る限り大きく描く!
  • 必ず両方の脚でトライ
  • 高学年くらいの子は漢字でなど

「柔道を美化し過ぎていた」という気づき

このような考えに至るにはきっかけがありました。

私自身、小学3年生で仲良しの友達がやっていたのがきっかけで柔道を始め、競技者としては高校三年生の引退を機に柔道から一度離れました。柔道が嫌いになった訳ではありませんが、大学でも柔道を頑張ろうという気になれなかったのが理由です。そんな私が今、指導者として柔道着に袖を通すことが出来ているのは、私が小学生の頃に通っていた地元の道場がずっと同じ場所、同じ曜日、時間に稽古をしていたからです。私の場合戻ってこれる場所があったのです。そして小さい頃、柔道を教えていただいた二人の恩師が現役で頑張っておられたことに感激し、自然と道場に通い出すことになりました。

最初の頃は指導者と言う自覚もなく、子ども達と楽しく柔道出来たら満足してました。教えると言うより一緒に柔道を楽しんでる感覚でしたね。このとき感じたことは、投げられても誰かに叱られる訳でもなく、純粋に柔道が楽しい!って思えました。そこから次第に指導者として歩んできたのですが、当時の私は、いままで自分が道場で習ってきた稽古を、昔ながらの稽古をそのまま実施することが柔道の稽古であると考えていました。とにかく基礎的な反復練習を繰り返すプログラムや「練習中は笑ってはいけない」と指導することについて疑問をもっていませんでした。

しかし、2017年2月にjudo3.0が三重で開催したフォーラムに参加したことが一つのきっかけになりました。

大学に進学していない私は、大学柔道部を卒業した方々がもつ全国のつながりなどはなく、これまで県内の先生方としかつながりを持てていませんでした。しかし、フォーラムに参加した方々は、経歴なんか気にすることがなく、とてもフラットで、それぞれが一人一人の意見を熱心に聞く様子がすごく印象的で、私にとってすごく新鮮で刺激的な場となりました。参加するまでは少し怪しい男だと思っていたjudo3.0の代表の酒井さんの魅力にも惹かれてしまいました。そして、その後、大阪でのフォーラムにも参加し、さらにたくさんの方々と出会えることが出来ました。

ここでの私の中での一番大きな気づきはと言うと、自分のなかで「柔道を美化し過ぎていた」ということです。

日本文化である柔道。「柔道は他のスポーツとは違う」「柔道は礼節を重んじている」「柔道は品格がある」「柔道は、、、」と言ったような他の競技には無い素晴らしい武道であるんだと考えておりました。確かに柔道は素晴らしい日本文化であり、武道の精神を学ぶことに間違いありません。

しかし、このことにあまりに捉われてしまっていたように思います。「柔道はこうあるべき」「柔道はこういう稽古をすべき」「柔道を習う生徒はこうすべき」というものに捉われ、目の前の子ども達、地域の子どもたち、日本の子ども達の危機に目を向けていなかったかもしれない、指導者の自己満足により、子ども達の可能性や、ワクワク、ドキドキを潰してきてしまったかもしれない、とも感じております。

遊び場としての町道場の可能性

「遊び」が子ども達の運動能力を高めること、昔と比べて子ども達の「遊び」の機会が減っていることなどを知り、改めて「柔道とは何か?」そして「一人の柔道家として出来ることはなんなのか?」を考え、今は、親=大人=社会、大人が決めたルールの中で窮屈に育っていく現代社会の子ども達にとって、「遊び」の場所、少しでも伸び伸びと成長出来る環境をつくってあげられたらと思っています。

ずっと柔道を続けてくれることが何よりも嬉しいことですが、途中で他のスポーツに夢中になっても大丈夫な身体を準備しておくことが指導者の責任では無いのかなとも思います。柔道のせいで運動そのものが嫌いになってしまう子が居たら寂しいですもんね。道場に通う子ども達は「選手」である前に「子ども」である事を忘れてはならない。

私は、これからの取り組みとして、柔道の稽古のある日にワクワク・ドキドキのプログラムをつくっていくほか、稽古日以外も定期的に道場を解放し、柔道場が地域の子どもたちや大人が集まるコミュニティの場にすることができないか、学校が「教育」現場なら、道場は「共育」現場に、「遊びは最大の学び場」と大人がしっかりと認識し、子ども達が自由に遊べる場所が少しでも創っていく取り組みをしようと考えています。

嘉納治五郎師範のお言葉に「全ての人の真価は、その人の一生涯にどれほどの貢献を世のためにしたかと言う事によって定まるのである」というものがあります。この言葉を胸に一人の柔道家・指導者として、これからも精進していきたいと思います。

田中 克昌

三重県 芸濃柔道クラブ指導員

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