50歳主婦。柔道を始めた。元気になった。そして夢ができた。(特集「ゆにじゅ〜」と発達障害 第3回)
こんにちは!3.0マガジン編集部です。発達障害のある子どもたち、そのほか誰でも柔道を楽しめる「柔道のユニバーサルデザイン化」を目指し活動しているユニバーサル柔道アカデミー(愛媛県四国中央市・以下「ゆにじゅ〜」)の特集、第3回目は、最近ゆにじゅ〜のスタッフになったという真鍋直美先生のお話です。
今年で51歳になるという真鍋先生が柔道にはじめてふれたのは昨年12月。マイナスイメージしかなかった柔道をまさか自分がはじめて、しかも黒帯を目指すようになり、子どもたちの指導にも関わるようになるとは想像していなかったといいます。なんと先日は愛媛から大阪に「出稽古」にいったとのこと。いったいなぜ「平凡な普通の主婦のおばちゃん」(本人談)だった真鍋先生が、出稽古を楽しむ柔道クラブのスタッフになるぐらい変わっていったのか?真鍋先生がゆにじゅ〜と接することで生じた変化をつうじて柔道の魅力を再発見する旅をお楽しみください。
初めまして。ゆにじゅ~の指導補助をさせていただいているスタッフの真鍋です。どうぞよろしくお願いします。実は以前の私は、柔道に対して何の興味もなく、「怖い」だとか「痛い」「怪我をしそう」「危険なスポーツ」「苦しい練習」などマイナスのイメージしかありませんでした。
学生のとき以来スポーツをしていなかった運動音痴の私が、柔道にマイナスイメージしかなかった私が、そして、今年で51歳になる私が、柔道の楽しさに気づき、黒帯を目指して日々練習に励み、子どもたちの指導にも関わるようになったという、大きな心境の変化のお話をさせていただきたいと思います。
最初のきっかけはfacebookから
最初のきっかけはfacebookでした。たまたま見つけたfacebookページ「柔道→世界一の学校!」に投稿されていた酒井さんの記事を読んでいて、judo3.0の目指しているもののスケールの大きさや可能性に心惹かれ、一度お話をうかがってみたいと思っていました。
そんなある日、judo3.0のフォーラムが愛媛で開催されるということを知り、 柔道の経験がない私は、場違いではないか、と思いながらも、勇気を出してフォーラムに参加させていただきました。そこで、もっと衝撃的で私の運命を変える出来事が起こったのです。それがゆにじゅ〜の長野先生との出会いでした。長野先生からゆにじゅ〜の取り組みを伺い、柔道経験は全くありませんでしたが、とても共感したので「一度見学をしてみたい」と思ったのです。
柔道をした私に生じた5つ変化
一つ目の変化〜柔道をやってみたい!〜
初めてゆにじゅ~に見学にいったとき、本当に驚きました。柔道の練習=苦しく辛いもの、という固定観念があったのですが、子ども達が笑顔でキラキラと輝いていました。保護者の方々も一緒になって体を動かしていて楽しそうで、スタッフの先生方もとても楽しそうでした。
練習なのか遊びなのかよくわからないまま、最初の見学は終わってしまいましたが、ただ立って見ていただけの私でも道場の温かい雰囲気に包まれ、心地よかったのを覚えています。だから、私は「次はゆにじゅ〜の稽古に参加したい」、「子ども達や大人の方々と一緒に体を動かしたい」と思い、次の週からゆにじゅ〜の稽古に参加させていただくことにしたのです。
これも今から考えれば、ゆにじゅ〜が狙っていた効果だったと思います。楽しいとか、自分も参加したいって思ってもらえるような雰囲気を作り出そうと、私たちスタッフはいつも努力しているからです。
二つ目の変化〜投げてみたい!〜
2回目のゆにじゅ〜。今度は私も子ども達の練習メニューに一緒に参加しました。私が思っていた辛く苦しい練習は何一つなく、体力のない私でも楽しく参加することができたのですが、この日、『私も柔道をしてみたい!』と言う決定的な出来事がありました。それが、小さな子ども達が、自分よりもはるかに大きい大人を投げるという「投げ投げタイム」です。
見ている私までもが楽しくなり、子どもに混じって『私も投げてみたいです』と手を挙げていました。そして技も構えも知らない私が、投げるような動きをしたら、私よりも大きな先生が、目一杯のオーバーリアクションでふっ飛んでくれたのです。これが本当に楽しかったです。大人の私でさえはしゃいでしまったのですから、子ども達は尚更です。優越感に浸り、どの子も得意気な顔をしていました。
三つ目の変化〜投げられてみたい!〜
以降、毎週ゆにじゅ〜の稽古に参加するようになりましたが、「投げ技タイム」で何度も投げていると、今度は投げられる側になってみたいと思うようになりました。
この気持ちの変化には、自分でも驚いています。柔道は危険というマイナスイメージがあって、投げられたら怪我をしてしまうのではという恐怖心がずっとありました。もし初めから練習メニューに投げられる練習が含まれていて、それを絶対やらなければならない、ってことになっていたら、私は辞めていたかもしれません。それぐらい私は、長い間運動をしていないこともあって柔道は危険だと思っていました。
しかし、遊びか練習か区別がつかない楽しい雰囲気で(巧妙に遊びに見せかけていたということを今は分かりますが)、受け身や立ち技、寝技の基本動作を学び、投げることをなんども繰り返していく中で、恐怖心が薄れていったのです。そして、気持ちが前向きになって、自分から「投げられてみたい」と思うようになったのです。
四つの目の変化〜スタッフになる!〜
このような経緯があって柔道を続けることができ、ゆにじゅ〜での稽古、そして、近くの中学校の柔道部の稽古に参加させていただきながら、いまは、ゆにじゅ~のスタッフとしてもお手伝いをさせていただいています。
スタッフとして関わらせていただき分かったことは、その楽しさややりがいでした。子ども達の日々の変化や大きな成長をご父兄の皆様と共に喜び、分かち合える。これは本当に最高だと思います。そして何より、子ども達の無邪気な笑顔に、私自身が元気と勇気をもらってます。
だからこそ、子ども達にもっとたくさんの笑顔と自信をもってもらいたい。そのために私は、子ども達に対し、子どもたちに接する私自身が様々なことに挑戦して、「こんなおばちゃんでもできるんだよ」「失敗しても大丈夫なんだよ」っていう姿を見せていきたいと思っています。
夢ができた〜5つ目の変化〜
最後に私の夢についてお話ししたいと思います。柔道をはじめて、長野先生、ゆにじゅ〜のみんな、そして、judo3.0の仲間の夢や熱い想いにふれていくうちに、私にも夢ができました。しかも二つも夢ができたのです。
一つ目の夢。
それは、黒帯をとって、柔道着を担いで世界をまわり、様々な国の子どもたちと一緒に柔道をしてみたい、という夢です。先日大阪に仕事で出張したとき、素敵なご縁をいただき、大阪の柔道教室の練習に参加させていただきました。はじめての出稽古です。
このとき、中学生や高校生と一緒に稽古させていただいたのですが、一緒に柔道をしたら何故か友情が芽生え、彼女たちと
「誰が一番に黒帯になるか勝負ね!」
と熱い約束を交わすことができました。50歳のおばちゃんと中高生、この年齢の壁を超えて友情が成立する。こんなことは柔道をしていなければ生まれなかったと思います。
「柔道は世界中の様々な人と友情を生み出すことができる、だから子ども達にその機会を創ろう」というjudo3.0の活動に関わり、私も実際に柔道を始めました。そうしたら、柔道を通じて、ゆにじゅ〜のみんな、大阪の中高生の皆さんをはじめ様々な出会いがあった。
地域や年齢を超えてつながることができた、そして、それがとても楽しいことだと知りました。私は、大阪に出稽古にいくことができたように、海外に出稽古にいくことができる。そして、海外のこどもたちと一緒に稽古をすることができる。
今からワクワクしています。そのためにも黒帯をとりたい。なんとしても私が憧れたあの黒帯、長野先生やゆにじゅ〜の先生が巻いていた黒帯、あの貫禄というか重みを、私自身が取得して、黒帯を巻いて海外にいきたいのです。
もう一つの夢。
それは、女性や弱い立場の方々が気軽に安心して柔道に接することができる環境をつくること。そのお手伝いをさせていただけたらと思っています。
柔道に対してあれだけマイナスのイメージを持っていた私ですが、関わっていく中で、柔道の素晴らしさや無限の可能性を身をもって体験しました。私は、今まで平凡な普通の主婦のおばちゃんでしたが、本当にたくさんのことが変わったのです。
でも、私の周りでは柔道にこんな魅力があることを誰も知りません。こんなに楽しい発見を私だけのものにするのはもったいない!
昔の私のように柔道に興味がなかったり、マイナスイメージをもっている人、やってみたいけどハードルが高いと思っている人、そして、柔道の練習が厳しくて嫌になった子ども達、こんな人たちに、私は、「ゆにじゅ~のような素晴らしい取り組みを知ってほしい」と思って声をかけています。そして、ゆにじゅ~のように、楽しく気軽に取り組める柔道教室がもっとあってもいいんじゃないかと思ってます。
これがわたしの夢でした。私が感じた柔道の素晴らしさを一人でも多くの方に伝えたい。柔道に出会ったことで私は今日も楽しく元気に過ごしています。