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チリで柔道を教える夫の情熱と苦労

はじめまして。judo3.0の活動を知ることが出来て大変嬉しく存じます。普段日本人とのコンタクトも無い中で、こうしてお知り合いになれた嬉しさと興奮はおそらく皆様の想像以上だと思います。

私は南米チリの北部の町、ラ・セレナ市から50キロほど内陸の標高650mの山村に住んでいます。13年前チリ人の夫と未開墾の土地に入植し、今は1.5ヘクタールほどアロエベラの栽培を中心にヤギを飼い、菜園や果樹を少し栽培している農家です。年間降水量が50ミリあるかないかというサボテンだらけの乾燥地で、インターネットも自宅ではできず、電話もほとんどつながらないのが我が家の生活です。

※2012年、日本のテレビ東京の「世界の秘境に嫁いだ日本人妻」という番組で我が家が紹介されました。

そんな日本から最も遠く、想像も出来ないような場所でも、柔道を通して家族となり、柔道への情熱を絶やさない私の夫と私たち家族の柔道にかける思いを話させていただこうと思います。

毎週500キロの夜行バスに乗って柔道を指導

私は青年海外協力隊として2001年にチリに派遣され、柔道家の夫、グスタボ・パラとは柔道を通して知り合いました。その当時、首都で一人暮らしをしていたグスタボは、週末に夜行バスに乗り約500キロの旅をして、田舎の子供たちに無償で柔道を教えていたのです。その善行というか愚行というか、その行為に衝撃を受けた協力隊の仲間で、柔道大会にあわせて日本文化紹介をしたのが知り合ったきっかけでした。

その当時のことは、2006年に「柔道家のための総合情報サイト eJudo」さまに紹介していただいたことがあるので、関心のある方は読んでいただければ幸いです。

これまでの柔道教室の変遷

グスタボは昔働いていた鉱山会社で柔道クラブを結成し、その時フランス製の畳を会社が買ってくれたのですが、鉱山が閉鎖になり廃棄寸前だった畳を取戻し、2003年から村の公民館にその畳を敷いて柔道教室をしていました。2006年に首都からその柔道教室をしていた村よりさらに山奥の電気も届いていない未開の地に、生後7か月の長男を連れて移り住んだ私たちは、町で柔道教室を開ける可能性を探って地元の柔道家とコンタクトを取りました。

幸い2007年、スポーツ省の体育館の2階が利用されないままだったので、掃除をし、グスタボの畳を持ち込んで柔道教室を開始しました。ほどなく、スポーツ省がリフォームして畳も購入し、真新しい畳で柔道、テコンドー、エアロビクス、卓球などのクラブが活動を始めるようになりました。その当時、週に3回、柔道教室のために往復100キロの道を行き来するグスタボに同行し、夜9時過ぎに電気もつかない我が家に、すっかり眠り込んだ息子を腕にかかえて帰るときの心細さは今でも忘れることが出来ません。

柔道クラブも多い時は指導者が何人も来て大賑わいの時もあれば、冬の寒い時期になると数人と寂しい日もありました。3年余りその生活を続けたグスタボですが、指導者同士の反目というか、有望な選手を言葉巧みに他のクラブに勧誘して大会は他のクラブの名前で出場するということが頻繁におき、グスタボもその指導者同士の勢力争いに嫌気がさし、他の指導者に場をゆずって田舎に隠棲しました。

その場所はその後も指導者同士の奪い合いが続きました。グスタボは町での指導は町の人に任せ、スポーツの機会も少ない田舎に軸点を置き、その後も要請があれば、ピックアップトラックに10枚以上畳を積んで、他の村や小学校などでの柔道の実演、一日柔道教室や夏休み期間の柔道教室などを続けて来ました。

2015年、グスタボの名前を知る柔道家から招かれ、もう一度町での柔道教室が始まりました。その頃には長男も長女も柔道を出来るまでに成長していたこともあり、今度は家族で参加する柔道生活が始まりました。大変順調にいっていたクラブ活動でしたが、2018年にはその場所が閉鎖され、またもや場所を原点である村の公民館に戻し、その後廃校になった小学校の食堂で土曜日だけの柔道教室を開催するに至っています。

長々と柔道教室の変遷を書き下りましたが、日本や他の先進国で、真新しい畳や質の良い柔道着、電気の明るい広い柔道場で柔道に打ち込めることの幸せを感じていただきたいという思いからです。30年以上たってシミや破れのある畳ですが、グスタボはその畳を会社から無償で引き受けた時に、柔道の普及に努めると約束し、要請があれば畳を積んであちこちに出かけ柔道の普及に努めています。

現在の柔道教室

現在ラ・セレナと隣のコキンボ市の柔道クラブでは250名ほどが異なる柔道クラブで活動しています。私たちの豊星(ホウセイ)柔道クラブは大変小さいクラブです。残念なことに、選手の奪い合いというのは、もはや慣例化というか、チリ人の気質でしょうか、グスタボは多くの村の青少年を指導し、この地域では一番古く顔の広い指導者であることは皆が認めるところですが、選手が若い指導者や町のクラブに身を寄せてしまうという事態は変わらないのです。

グスタボは「他のクラブに移りたいのなら、そう言ってくれれば止めない。ただこっそりいなくなって、大会で他のクラブの名前で出場している教え子を見るのはやり切れない」と言います。でももうそういうことが頻繁に起きるので「たとえ他のクラブにいっても柔道を続けてくれているなら、ましだと思うことにする」とまで譲歩しています。どれだけ忠誠心の大切さを説いても、新しい指導者は以前の指導者をこき下ろすのか、何らかのネガティブキャンペーンをしているのか、何年も彼の指導姿勢を見ているだけに選手の流出はもどかしく、残念に思います。

グスタボは、柔道の大会で負けても叱ったり罵倒するようなことは一切ありません。練習で子供たちがふざけていても叱ることはなく、皆楽しく和気あいあいとした雰囲気で小さな子供は遊び感覚で畳の上を転げまわっています。私事ですが、11歳になる次男はアスペルガー症候群をかかえています。以前は柔道に参加しなかった彼が自分から柔道着を着て参加するようになってきました。これは私たち家族には大きな大きな変化であり、感動なのです。どんな子でも楽しく体を動かし、他の仲間から認められる、そういう経験を積んでほしいと思っているのです。

グスタボが叱るときは、もう物事の分かる青年のレベルで、先生が来ても挨拶しない、勝手に来て勝手に帰る礼儀の無い態度だけです。グスタボは「自分は柔道選手を育てる以前に、社会に役に立てる人間を育てることに自負を感じている。自分は青少年期は空手に打ち込んだ。武道による礼儀、規律正しい生活、相手への尊敬、そういう価値を一生持ってほしいと思っている」と常々語っています。

これから

グスタボは今年65歳になりますが、昨年から新しい挑戦を行っています。それは夜間大学で法律を勉強することです。村で横行する区長はじめの役員らによる不正な収支決算の操作などを正そうと地区の区長になり、法学的知識を得たいと学び始めたのですが、たった2か月で罷免となってしまいました。元刑事という彼のキャリアも、不正で収入を得ている輩には目障りな存在に違いなく、あの手この手で追放されたのです。村八分のような状況に陥り、私たちも一時は大変気落ちしましたが、簡単に屈するグスタボではありません。夜11時までの夜間授業を苦しみながらも楽しんでいます。そして、この年でも学べること、この年でも柔道というスポーツが出来ることを子供たちや生徒への見本としたいと張り切っています。

私たちは今、JICAの青年海外協力隊の柔道隊員の要請を準備しています。最近も南アメリカ大会があったのですが、チリ柔道は厳しい状況でした。これもチリ柔道協会が分裂、分裂を繰り返し、指導者同士の反目や選手の取り合いなどが横行し、柔道大会も参加選手の数が激減していることにも原因があります。こういう負のエネルギーを一掃し、正しい知識の元で少年期からじっくりと選手育成を図っていく長期的視野が必要になってくると思っています。

こういう私たちに日本の若い柔道家の方が共鳴し、こちらに来ていただければ、そして、ご助言やご指導を賜ることが出来れば、私たちにとっての最高の喜びです。また、南米を旅したい柔道家の方、是非我が家に滞在し、柔道教室に参加して交流してください。ラセレナ市は国内でも観光客の多い、素敵な街です。

長い文章になり、失礼いたしました。読んでいただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

池田久子

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