嘉納治五郎の柔道と教育10 嘉納塾2 克己の力を養う。
引き続き、嘉納塾についてみていく。「精力善用・自他共栄」を世に唱える以前であるが、嘉納が、嘉納塾の同窓会において、その教育方針などについて語った講話があることから、今回及び次回はその講話をみていく。以下、嘉納が52歳のときの講話である(嘉納・体系5巻39~43頁)。
人としてこの世に生まれた以上は、生まれただけの甲斐のある人とならねばならぬ。それには、何人にもそれぞれ尽くすべきことのあるものであれば、その尽くすべきことを、よく尽くさねばならぬのである。これがすなわち、各自の本分というもので、その本分をよく尽くさんとするには、必ず修養を要するのである。
わが塾は今よりほとんど三十年前の創立である。当時自分は教育の経験も少なく、したがってその意見も今日のごとく熟するに至らなかったが、当時世間一般の風潮を見てすこぶる不満の念を起し、自然の成り行きに任してこれを坐視するに忍びず、すなわち特に力をもちうべき必要を深く感じて、我が塾の教育の上に注意したのである。
そうしてその方針は今に至るまで三十年間少しも変わるところなく、その後相当の経験をも積み、また学理に照らして熟考をも重ねてみたが、その方針の豪も誤っておらなかった事を信ずるのである。また自分独りこれを信ずるばかりでなく我が塾に居った旧き塾生が時々来て、その経験や感想やを語るに聞くに、一つとして我が塾の方針の誤らなかったことをいわないもののないのは自分のはなはだ喜ぶところである。
我が塾にて説くところの人の道は、世間の説くところの人の道と決して異なるところはない。しかし道徳を実行するについては修練を要するもので、その修練について我が塾の特色ともいうべき三つの要項がある。
その第一、克己の力を養う事である。維新後欧米の文化を輸入し、その精神を取ることをせずしてただ形式をのみ模倣し、旧習を破壊しようという余弊は、古来の良き事柄をも軽侮し、改廃し、近眼でもないのに眼鏡を掛け、咽喉を病まざるに襟巻を纏い、正坐すれば血液の循環を阻碍すべしと称して、不行儀の振舞をなし、あるいは衛生を口にしてみだりに厚着をし、いたずらに滋養物の摂取を力め、我が国古来行いきたった身体鍛練の事ごときは、これを厭いこれを省みざる有様であった。
自分はこの風潮をもって国民を堕落せしむるものであることを考え、ここに身体鍛練精神修養ということに力を尽くしたのである。また幼時より我儘勝手のするは、身を立て、志を行う上に最も有害なることを信じ、塾生には一様に労役に服せしめた。我が塾には高位、高官、華族、富豪の子弟も多かったが、皆朝は早くより起こし、寒中水にて拭掃除をさせ、外出を制限し、規律を守らせ、我儘勝手の事をさせず、艱難苦労に慣るるようにと力めさせた。
すべて幼時より我儘を通じて育てられたものに、成人の後志を遂げ得たものはほとんど稀である。余りあるほどの学資を支給せられ、何不自由なく我儘気儘に慣るるものは、人に対しておのれを尽くすべきことを怠り、世に重んぜられず、人に斥けられ、なすなきに了る例がはなはだ多い。
これに反して他人の僕となり、他家の食客となり、百般の労役に服し、零砕の時間を利用して、学校に通い、辛苦艱難のうちに学んだ者に志を達した人が少なくない。我が塾の克己を第一としたのは、これがためで、平生決して我儘をせず、人のため身のために尽くす習慣を養う必要上、克己何事にも服することを第一条件としたのである。
第二は身体を強健にする事である。この世の中に立って、何事かをなそうとするには、必ず強烈な競争をなさねばならぬ。その時もし身体虚弱であったならば、とうてい生存競争の劣敗たる運命を免れ得ない。すなわちただにおのれ一人の事業の失敗たるのみならず、累を他人に及ぼし、社会の発達を妨ぐるに至ることなしともいう事は出来ない。
それゆえ、我が塾は毎日柔道の稽古をなさしめ、身体を鍛練せしめ、かつ健康を保持増進させるに最も意を用い、将来奮闘場裏に現れ出ずる場合に際して、悪戦苦闘するも、屈せず撓まず、身体を全うしてよくその志を達し得るようにするを重んずるのである。しかしこれは積極的に自ら進んで行うようにすべきもので、塾の精神もまたこれにあるのである。
第三は質素倹約の風を養う事である。これは、一個人としても一国としても最も必要な事で、もし奢侈に流るれば家も亡び国も滅ぶことは歴史の証明するところである。我が日本国民にして質素倹約を貴ぶ国民でなければ、我が国は決して盛んな国となる望みはない。
質素倹約は身分のいかんを問わず、何人も貴ばねばならぬ事である。親も富有なればとて、そのこの驕奢にすべき理由はない。子としてはなるべく少なく親もしくは師より世話を受けて、なるべく費用を節し、そうしてなるべく多く早く立派な人になるように掛くべきである。
親の富有なる子は、良師に就きて長き間学問に従事し、また病気の際には良医に治を乞うがごときは、親の恩恵としてこれを受くるも決して愧ずべきことでないが、智徳を磨き身体を健全にする上に、さらに異ならざるかぎりはなるべく費用を節約すべきは子としての義務である。
富有の子弟は、その四囲のために悪習慣を養わるることが多い。すなわち驕奢の風のごときは、その悪感染にほかならないのである。ゆえに我が塾においては、富有の子弟に主として質素の美習慣を養わしむることを力むるのである。
この良風を慣るる上は、世に立って後、始めて堅実な人となり、社会の信用を得ることが出来るのである。これは創立以来の方針で、今に至るまで変わることのないのであるが、我が塾生の多数は塾を出でて後も、よくこの美風を守り、世に立ち世に尽くしているが、自分はこれを見て最も喜んでいるのである。
本日も例により新旧塾生一堂に集り、互いに話し合いつつ歓を共にするはずであるが、かく多数来会して胸襟を披き、往を談じ来を語るは真に愉快なるもので、自分のこれを見聞するは、ことに嬉しく思うところである。旧塾生は既往に受け得た塾風によりて社会に出て社会に尽した事について現塾生に語るところあらば、現塾生を益することも多いであろう。この機会を利用して、十分懇話し、また互いに歓を尽くすことを望む。
※本記事は、2010年8月から酒井重義(judo3.0)によってブログで連載された研究論考「勇者出処~嘉納治五郎の柔道と教育」の再掲です。