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嘉納治五郎の柔道と教育15 米国イリノイ州ネーパーヴィルの奇蹟

前回は、運動の脳に対する効用にふれ、徳育としての体育の有効性の実証されつつあることを述べたが、今回は、ネーパーヴィルの奇蹟と評される、1999年の国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)において理科が世界1位、数学が世界6位になった、米国イリノイ州のネーパーヴィル203学区の体育をみていきたい。

ここでは、レイティ氏の『脳を鍛えるには運動しかない!』(NHK出版)の第1章「革命へようこそ-運動と脳に関するケーススタディ」に基づいているが、そのほか次のものがある。

本稿は、体育こそが次世代の教育システムのコアとなり、よき社会を作る切り口になると考え、柔道は、この次世代の教育システムとなるという理解と期待に基づき、その潜在的可能性が発揮されるような新しい仕組みを提案することを目的としてる。

このネーパーヴィルの体育は、レイティ氏が「社会を作り直すためのひな型」(28頁)と評したように、体育をコアとした次世代の教育システムの嚆矢であると思われ、優れた体育というものがどれほどの影響力を持つのか教えてくれる。

以下『脳を鍛えるには運動しかない!』という著作で知る限りではあるが、ふれていきたい。詳細はレイティ氏の著書をみてほしい。

1.運動と成績の関係

最近の研究によると、脳は、脳細胞(ニューロン)が結びつき、ネットワークを作ることによって機能するが、運動(有酸素運動)は、このネットワークを作ることとネットワークをうまく動かすことにいい影響を与えることが分かってきた。この研究が示すことは、運動をして脳内を活発化してから勉強すると、運動しない場合に比較して、よりよく学ぶことができるということである。

なぜ成績の向上を期待するかと言うと、近年の研究によって、運動が生物学的変化を引き起こし、脳のニューロンを結びつけることがわかったからだ。脳が学習するには、そうした結びつきが作られなければならない。逆に言えば、脳はそのように新しい結びつきを作れるからこそ、変化に対応できるのだ。神経科学者がこのプロセスについて探究するうちに、運動がなによりの刺激となって、脳は学習の準備をし、意欲をもち、その能力を高めることがわかってきた。とくに有酸素運動は、「適応」に劇的な効果を及ぼす。「適応」とは、心身のシステムのバランスを整え、その能力を最大限にしようとする機能であり、自分の可能性を切り開いていこうとする人にとって、欠くことができないメカニズムだ。(「脳を鍛えるには運動しかない」17頁)

独自の体育プログラムを有するネーパーヴィル203学区(小学校14校、中学校5校、高校2校)は、1999年の国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)において、理科が世界1位、数学が世界6位となった。低所得者が少なく高学歴の親が多いなどの要因もあるが、上記のメカニズムが実際に作用することを強く示唆したのである。

実際、学校内のリテラシー(読み書き)の成績について、「0時限」と言われる、朝、有酸素運動をしてから授業を受けるというコースをとった生徒は、17%も成績が向上したのに対し、このコースをとっていない生徒は10.7%しか伸びなかったという。

また、2001年のカリフォルニア州教育局の調査では、健康な子どもの学力検査の点数は、そうでない子供の二倍も高いという調査結果が出ており、日本においても、福井県や秋田県は、学力テスト、体力テスト双方で上位にあり、体力と学力は比例するのではないかと指摘されている。

2.ネーパーヴィルの体育

それでは、ネーパーヴィルの体育とはどのようなものだろうか。

革命と称されるネーパーヴィルの体育は、1990年、子供の健康状態が下降しつつあるという新聞記事を読んだ、たった一人の中学の体育教師、フィル・ローラー氏(404 Not Found)が始めたものであるが、以下、体育の内容、体育の成績の評価方法、体育と他の教科の関係をみていく。

体育の内容:スポーツからフィットネスへ

ローラー氏は、野球やサッカーなどのチームスポーツでは、打順が来るのを待っていたり、ボールを来るのを待っていたりなど動いていない生徒が多いこと、さらに、大人になってからもチームスポーツを続ける者が極めて少ないこと(3%)から、従来の体育には欠陥があると考えた

そこで、ローラー氏や仲間たちは、試行錯誤しながらも、次のように体育を変えた。

  • 「スポーツ」(勝敗を争う)ではなく「フィットネス」(健康増進のための運動)
  • 有酸素運動を中心にそえる(チームスポーツであっても、4対4のサッカーなど生徒がたえず動くようにする)
  • 毎日運動する。なお、米国で毎日体育の授業がある高校は全体の6%だという。
  • 各自が続けることのできる運動を見つけるため、18種目(バスケットボールなどのチームスポーツから、カヤック、ダンス、ロッククライミングなど)の体育を用意し、生徒は好きなものを選ぶ。
  • 健康を維持するために必要なことを教える。運動の効用、自分にあったフィットネス計画の立案、進捗の記録、心拍、血圧、体脂肪、血圧やコレステロール値、家族の病歴、なりやすい病気の予測と予防策などが教えられる。

特に、先に触れた「0時限」(授業前に有酸素運動をする「学習準備のための体育」)は非常に示唆に富む。事例としてあげられていたものは、最大心拍数80~90%でトラックを4週(10分程度)するランニングだったが、この取り組みについて体育教師とそれに参加した生徒は次のようにいう。

体育教師「わたしたちがやっているのは、厳しい運動を通して学習の準備をさせようという試みです。要するに、頭をしっかり目覚めさせてから授業に送り込んでいるのです。

生徒「いいと思うわ。早起きしなきゃいけないし、汗をかいて気持ち悪かったりするけど、一日中、以前より目が覚めている感じがするの。去年はいつもいらいらしていたのよ。」(19頁)。

実際、リテラシーの授業に関し、運動の効果が続く2時限目に授業を受けた生徒は、8時限目に授業を受けた生徒と比較して成績はよく、生徒指導カウンセラーは、運動の効果を生かすために、生徒全員がそれぞれ一番苦手とする教科を受けるよう提案しているという。

評価:能力ではなく努力で評価

ネーパーヴィルの体育は、目標心拍数に達した時間の長さによって成績がつけられる。つまり、生徒は、能力ではなく努力で評価される。

ローラー氏は、能力評価が、走るのが遅い生徒たちのやる気をなくさせることに気づき、どのようにすれば各自の努力を正当に評価できるのかと考えた。以下、心拍計を手に入れたローラー氏が革命家となった瞬間である。

さっそくその週、生徒たちが走るときに、体型はスマートでも運動が苦手な六年生の女子にその心拍計をつけさせてみた。その記録をダウンロードしたローラーはわが目を疑った。「彼女の平均心拍数は187だったんです!」11歳ということは、最大心拍数はおおよそ209なので、彼女はほぼ全速力で走っていたことになる。「ゴールした瞬間は、207まで上がっていました」とローラーはつづける。「おいおい!嘘だろう?思わずそう言っていました。いつもなら、その子のところに行って、もっと真剣に走らなきゃだめだ、と注意していたところです。まさにそのとき、計画全体に劇的な変化が起きたのです。その心拍計がすべての出発点となりました。思い起こせば、教師がほめてやらなかったせいで、どれほど多くの生徒が運動嫌いになってしまったことでしょう。実際のところ、体育の授業であの女の子はだれよりもがんばっていたのです。」ローラーは、速く走れることとベストを尽くしていることは、必ずしもイコールではないということに気づいたのだった(25~26頁)。

ポイントは、能力ではなく努力で評価するという評価システムが、フィットネスという観点から理にかなっている点にある。上記の女の子は、たとえ走るのが遅くても、自分の体と脳、そして心に最も効果的な運動をしていたのである。

体育と他の教科との関係

体育教師とは何をする人だろうか。この点、ネーパーヴィルの体育教師は「わたしたちの授業では、脳細胞を作りだしています。それが育つかどうかは、ほかの教師の腕次第です。」という(28頁)。

これまでの体育は、国語、数学、理科、社会などの科目と並列の関係、又は体育を減らし数学を増やすなど劣後する関係にあった。しかし、体育が脳の活性化させ、他の教科の学習効率を上げるということが分かってからは、体育が中心にあり、体育を囲むかたちで他の教科があるような関係となっている。

体育を軸として教育を再構成すること、本稿はそのような希望を持っているが、このネーパーヴィル203学区は、脳という最新の研究を媒介として、体育を軸とした教育システムを創っているといえる。柔道と教育の未来に大きな示唆を与える事例だろう。

3.体育の可能性

このネーパーヴィルの体育は、当然ながら、成績という測定可能な限られた範囲に影響を及ぼすだけではない。むしろ以下のような点における徳育面における効用こそ最も重要なものだろう。

自分を信頼し大切にできる人になる

ネーパーヴィルの高校を卒業し、大学生となったジェシーは次のようにいう。

大量の試験を前にして、ストレスでまいりそうなときには自分に言い聞かせるんです。大丈夫、あなたは解決する方法を知っているわよって。自分には頼れるものがあると思うと、ほっとします。それがなかったら、なにかを食べたりしてまぎらわすしかないでしょうか。でも、運動が脳のはたらきを活発にしてくれるとわかっているから、とにかく運動しようって思えるんです。もしネーパーヴィルの体育の授業がなかったら、こんなことはわからなかったでしょうね。(40頁)

この「運動で脳を管理する方法」(40頁)「体を動かして精神状態を変える」(82頁)こそレイティ氏が著書で伝えたいメッセージであるが、柔道を作り、オリンピックを日本にもたらし、毎日運動するよう、繰り返し繰り返し説いた嘉納が伝えたいメッセージでもあっただろう。レイティ氏はいう。

人間の心を厳密に生物学的に解釈しようとするとき、心と脳と体が互いに影響しあっていることを往々にして見落とされがちだ。運動すると気分がよくなるだけでなく、自分を肯定的にとらえられるようになる。このことがもたらすプラスの効果は、特定の化学物質や脳の特定の部位が生み出せるものではない。気分が落ち込んでいても、体を動かしてすっきりすると、自分はきっと大丈夫で、信頼できると思えるようになり、態度もすっかり変わる。この日課を定着させるだけで、気分は大きく改善する。明らかに変化が起きるのだ(150頁)。

実際、運動は、前回みたように、うつ症状のほか、恐怖症やパニック障害などの不安障害(不安障害 – Wikipedia)などにもその症状を大幅に和らげる効果があることが医学的研究によって明らかになっている(119頁)。

わたしたちは日々生活をしていく中で様々な出来事に直面し、時には「適応」に苦慮する事態に立ち入るが、ネーパービルの体育、そして、徳育としての体育は、どんな出来事が生じたとしても、「大丈夫、あなたは解決する方法を知っているわよ」「自分はきっと大丈夫で、信頼できる」と思うことができる人を育成できるのである。

社会性

しかし、ネーパーヴィルの体育、徳育としての体育は、運動で脳をコントロールする方法だけではない。ネーパーヴィルの体育教師ジェンタルスキ氏はいう。

高校を卒業するまでに子どもたちにできるようになっていてほしいことはなんでしょうか。多くの人はこう答えるはずです。コミュニケーションがうまくとれるようになっていてほしい。何人かと協力しながら仕事ができるようになってほしい。問題を解決できるようになってほしい。リスクを恐れない人になってほしい。それを学ぶことができるのは、どこでしょうか。

ジェンタルスキは客人たちを見わたした。

「理科の授業でしょうか?わたしは、そうは思いません。」(37頁)。

このジェンタルスキ氏の問いにこそ、柔道の未来があるのではないだろうか。本稿はそのように考え、柔道ルネッサンスと同様、「ここに改めて師範の理想に思いを致し、ややもすると勝ち負けのみに拘泥しがちな昨今の柔道の在り方を憂慮し、’師範の理想とした人間教育’を目指して」(お探しのページが見つかりません。 | 講道館)微力ながら検討しているが、

ジェンタルスキ氏は、子供たちがいわゆる「社会性」を身につけることができるような体育を実践している。

例えば、高校一年生の必修科目となったスクエアダンス(一般社団法人 日本スクエアダンス協会)である。ここではパートナーと踊るだけではなく、会話することも求められる。最初の数週間は台本に沿ってパートナーと会話し、徐々に台本なしで会話することが指示されるという。レイティ氏に次のようにいう。

内気な生徒のなかには、人と話したり友だちをつくったりする方法を学ぶ機会がなく、自分の殻に閉じこもり、とくに異性を避けようとする子がいる。しかし、ジェンタルスキのスクエアダンスに出た生徒は、ひとりだけ選び出されたり、社会性を養う特別クラスに追いやられたりせず、怖さを感じなくてすむ設定で会話や交流の仕方を練習できるのだ。この活動は気晴らしになる一方で、生徒の自信を育てる。対話のこつを身につける生徒もいれば、気後れを克服するので精一杯という生徒もいるが、皆がやってることなので、それほど照れくさくない。

(中略)

人とのかかわりに不安を感じる生徒は、人に近づく方法や、距離の保ち方、いつ相手に話すかを練習し、プラスの記憶をインプットしていく。運動は社交の潤滑油となり、不安を減らすので、こうした学習を進める上で重要なはたらきをする。生徒の脳は運動によって準備が整い、経験を記憶する回路が作られる。その経験は、最初は難しく思えるかもしれないが、クラス全員で一緒にやっているうちにそれほどでもなくなる。これは直感的に考えても、自意識過剰で傷つきやすい年ごろの生徒を打ち解けさせる素晴らしい方法だ(42~43頁)。

このほか、体育館のクライミングウォール(表面によじ登るための突起をつけた人工の壁)をよじ登るクライミングの体育があり、信頼とコミュニケーションの大切さを教えるため、登る生徒は目隠しをされ、パートナーの指示を手掛かりに登っていくプログラムがあるという。

このネーパービルの体育は、体育や柔道が、やり方次第で、「コミュニケーションがうまくとれる」「何人かと協力しながら仕事ができる」「問題を解決できる」「リスクを恐れない」ような人を育成することができることを示しているが、このことの意義についてレイティ氏は次のようにいう。

わたしがネーパーヴィル革命の詳細や、子どもたちが体育の授業で社会性を学んでいることを話すと、同僚たちは驚いて言葉を失う。わたしもそうだったが、圧倒されてしまうのだ。これまで長年にわたって、わたしは自ら「社会脳」と名づけたものの問題をつきとめ、解決しようとしてきたが、ジェンタルスキは人とのかかわりあいが希薄が現代において、ますます孤独になっていくわたしたちの生活を変える完璧な処方箋を見出したのだ。それも、なんと体育の授業で!(42頁)。

本稿は、柔道がこのような効果を強くもつような仕組みを検討したいと考えている。

暴力と貧困

それでは人にこのような体育が施されたとき、社会はいったいどうなるのだろうか。

まず、一般に、生活水準の高い家庭の子どもは学力が高く、そうではない家庭の子どもは学力が低い傾向にあるが、カリフォルニア州教育局の2002年の調査は、低所得者層の中で、健康な生徒のほうがそうでない生徒より成績がいい、という結果を示している。つまり、子どもの健康に気を配れば、収入を上げることができなくても、子どもはよい成績をとることができる、すなわち「運動によって貧困の連鎖を断ち切ることができる」(31頁)。

さらに、スラム街にある米国ミズーリ州カンザスシティのウッドランド小学校において、2005年、体育の教師が、体育の授業を週1回から毎日45分に増やし、もっぱら有酸素運動をするようにしたところ、生徒の健康状態は劇的に改善され、そして、校内の暴力事件が、前年度の228件から95件にまで減少したという。

私たちが行きたいと思っているところへどうやっていけばいいか、徳育としての体育がどのような効果を持つか、そして、嘉納が描いた未来とそこに行くための方法について、これほど分かりやすく示す事例はないのではないだろうか。有酸素運動をして体と脳の状態を良好に保つと、社会から暴力や争いが減っていくのである。

思えば、嘉納は「自分はかつては非常な癇癪持ちで容易に激するたちであったが、柔術のため身体の健康が増進するにつれて、精神状態も非常に落ちついてきて、自制的精神の力が著しく強くなって来たことを自覚」したことに起因して柔道を創り、この柔道を世界に普及させることによって「人類の共栄」(講道館文化会)を図ろうとしたが、つまりは、嘉納は、このスラム街の小学校で生じたことを、全世界で実現しようとしたのである。

嘉納は言う。

今日の我が国は、種々の意味において国難に遭遇しているが、世界の各国もまた、国内問題においても、国際問題においても、種々悩まされていることがある。いずれの場合においても、その難関を切抜け、光明ある未来を将来せしめようとするには、我が講道館柔道の普及をほかにして他に有力なる方法があるとは考えられない。

国内においても、国際関係においても、今日万人の認むるところは、一面には人と人との衝突や、国と国との衝突である。また他面には、人々がその力を無用に働かせて、なし得べきことを得なさず、達し得べきところに得達せぬということである。とりもなおさず、自他共栄・精力善用の原理が万民に理解されず、その実行が閑却されているということである。それゆえに自国のためにも、他国のためにも、また世界のためにも、柔道の普及より急務なるものはない(嘉納・体系31頁)。

嘉納没後60年強が経過し、今や柔道は世界200国まで普及した。それでは、柔道が普及したことにより、種々の争いや問題が解消されただろうか。柔道が陰ながら人々を支えてきたことは各自の経験から明らかだろう。しかし、嘉納が目指した効果を発揮したかと問われればどうだろうか。少なくとも、現代の「柔道」について、それが普及することにより種々の争いや問題が解決する、というふうには理解されていないように思われる。

余談:大人になっても柔道を続ける人の割合について

フィル・ローラー氏は、大人でチームスポーツを楽しむ人が3%もいないという統計を好んで引用し、従来の体育が失敗であった指摘するが、この指摘はこれからの柔道を考える上で重要なポイントであると思う。

ひるがえって、学校体育や部活動で柔道を経験した生徒のうち、大人になってからも柔道をして者は一体何%いるだろうか。

従来、入門者数は着目されても、大人になっても柔道を続ける人の割合はほとんど着目されていないのではないかと推測される。しかし、健康を維持するための運動、脳の活発化させるための運動、徳育としての体育という観点からは、運動は続けないと効果が薄い。実際、嘉納は年齢を問わず毎日運動するよう指導している。

平成20年、中学校における武道の必修化が決まり、平成22年より全面的に実施されるが、学校を卒業したら二度としないという類のものとなれば、体育としてどれほどの効用があるのかが問われるおそれがあるだろう。

経営学者のドラッカーの見解に借りれば、これは「成果」をどのように定義するかという問題だろう(第1回参照)。おそらく問題の本質は、

10代20代前半の青少年の競技柔道(オリンピック金メダル)に今後も重点をおいていくか(この視点からは、特に10代の青少年の入門者数が重要な成果と定義されるだろう。)、

それとも老若男女が集うコミュニティーを作り、年齢を問わず、生涯柔道を通じて健康管理やメンタル管理し、また、人々の社会的な絆が形成される場を目指すか(文部科学省の総合型地域スポーツクラブ(404error:文部科学省)など)(この視点からは、柔道を続ける人の割合が重要な成果と定義されるだろう。)

という求める「成果」の違いにあるのではないだろうか。もちろんこれは二者択一ではなく、金メダルも生涯柔道もどちらも目指し、その時々バランスを取っていくというのが正しい選択であると思うが。

※本記事は、2010年8月から酒井重義(judo3.0)によってブログで連載された研究論考「勇者出処~嘉納治五郎の柔道と教育」の再掲です。

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