嘉納治五郎の柔道と教育18 男一匹、かけがえのないこの生涯をささげて悔いなきもの。
「先生の理想郷は、全世界の人類がいずれも健やかに、各々そのところを得て幸福を味わいうる、仏教でいう極楽の如き世界であった。」と評されるが、嘉納は、第12回でみたように、自らの理想の実現のため、主に三つの方法を採った。
第一が、「精力善用・自他共栄」という、わたしたちが向うべき方向を原理から探究して世に示すこと、第二に、優れた教師を育成すること、第三に、体育の振興をはかることである。柔術を再構築して柔道を作ったのは、第3の体育の振興の一環である。
さて、前回まで第3の体育の振興についてみたが、今回は、第2の優れた教師の育成についてみていきたい。
嘉納は、数え年23歳のとき学習院の教師となり、その後、熊本の第五高等中学校長、東京の第一高等中学校長を経て、34歳から61歳までほとんど間、東京高等師範学校の校長として、教師の育成に力を注いだ。なぜなら「小学校・中学校の教育において受けた道徳教育が人の一生を支配するということになる。」からであり、「高等師範学校はわが国普通教育の淵源」だからである(第2回参照)
それでは、嘉納は、どのような教師を育成しようとしたのだろうか。すなわち、教師にはどのようなコンピテンシーが必要だと考えたのだろうか。
嘉納は、「教育者の魂」、すなわち、教育の偉大さと楽しさを理解する人を育てることが最も重要であるという。
師範教育にもっとも必要なるは教育の力の偉大なることを理解し、教育の事業の楽しきことを知り、かりに外面からうける待遇が肉体的にも精神的にも十分ではないとしても、教育事業そのものを楽しんで職にあたる。これが教育者の魂である。この魂を養うことが教員育成の第一である(嘉納・著作集第3巻233頁)。
以下、嘉納のいう「教育者の魂」の詳細についてみていきたい。
教育の偉大さ
往々人は、教育者の力の偉大なることを看過している。もし国家・社会が三十年、五十年で消滅するものならば、現代を動かす政治とか、軍事とかに従事しているものがもっとも大事なものとして重んぜらるべきものであるが、これに反して、国家社会が何百年何千年続くものであるとするならば、短き現代のみのために尽くすよりは、永き将来のために尽くすことが一層大切であると見なければならない。そうすれば次代、次々代に活躍すべき人物を作る教育の仕事は、もっとも重んぜらるべきである。
未だ進歩せざる社会には、政治・軍事が最も大切な位置を占むべきであるが、進んだ社会には、教育、すなわち、すべてのものの基礎である仕事がもっとも尊ばるべきである。教育のいかんによって政治はよくも悪しきもなり、産業もまたあるいは衰え、あるいは発達するものである。軍事の隆替またしかりである。その他社会百般の事ことごとく人を作り、学理を攻究するその教育事業によらなければならぬ。また人間として世のために働く以上は、この国家社会に重要なるはたらきをなすところの教育に従事することは、人間のもっとも大なる誇りでなければならない。
既往の歴史を見ても、優れた政治家の事業も五十年、百年をまたずしてその形を変えてしまうが多く、また軍事上の大事業もやはりわずかの間に攻略・敗衂、地を異にする。また一、二の人の作れる富豪も二、三代にしてその跡を絶つもある。事業の浮沈よりするも、国家の盛衰から見るも政治・産業・軍事、必ずしもつねに永続しない。しかし、教育は、一人の力のなせることが、その一生の間にさえ何万人にもその力を及ぼし、さらにその死後、百代ののちまでもその力を及ぼすことでが出来る。その意味を自分は次の語にあらわし、しばしば人に示した。
教育之事天下莫偉焉、一人徳教広加万人、一世化育遠及百世
教育はかようなものであるということを、十分徹底的に教育者たらんとするものに理解せしめぬときは、いよいよ教育者となっても自分の天職の貴さを自覚せずに終わってしまう。故に師範教育において、ぜひこの精神を養わなければならぬ。教育者の往々卑屈になったり、あるいは不見識なるもののあるのは、この責任を負うという確信なきが故である。慎まなければならぬ(嘉納・著作集3巻236~238頁)
- 「教育之事天下莫偉焉、一人徳教広加万人、一世化育遠及百世」:教育のこと、天下これより偉いなるはなし。一人の徳教、広く万人に加わり、一世の化育遠く百世に及ぶ。
教育の楽しさ
次に教育というものは、大いに楽しき事業であるということを知らねばならぬ。人間のする仕事はいろいろと多いが、往々にして自己の成功が他の成功と両立せず、他より妨害を受け圧迫せられたりすることが起こってくる。しかるに教育の仕事たるや自分の力を尽くしたことによりて、教育を受けた者に満足を与え、また彼らの父母・兄弟らからも喜ばれる。すなわち、自分の成功は同時に、他人の成功をも助けてその満足を得るのである。それが教育の楽しいことの一つである。
普通、人が盆栽を作っても、家畜を育ててもそれを楽しみとすることができるものである。いわんや自分の力の尽くしようによりては、世を益する大なるはたらきをなす人物を育成することの出来る教育はさらに楽しいものでなければならぬ。実際にこれを味わってみれば、他のいかなる事業よりも、教育事業の楽しみに一層優っているということがわかる。けれどもこの教育の大切なることを理解し、これを楽しむということも、漫然教育に従事したとてこれを解し得るものではない。適当にこれを教え導き、正しく理解するように相当の手段をとらなければならぬ。この教育が師範教育である。この意味を次のごとくあらわし、人に示すことがある。
教育之事天下莫楽焉、陶鋳栄西兼善天下、其身雖亡余薫永存
誤りなくこういう教育を受けたものは、教育そのものをよく理解し、したがって教育そのものを楽しみにてこれに従事するはずである。それ故、ほかからうける待遇などは比較的軽く考えるべきであり、人から重んぜられるからその職に満足するにあらずして、自らその職の重大なるを信じるが故に進んでその職につき、人から物質上の優遇をうけるが故にあらずして、自ら楽しいが故にこれに従うということになる。
さすれば有形・無形の待遇が比較的軽くとも教育そのものを理解し、これにあたることを楽しむようになるのが当然である。この精神をもって教育に従事しておれば、社会もまた有形無形に優遇することが自然生じて来るだろう。結局、教育にたいする有形・無形の待遇は求めずしてくるのである。これが師範教育の大事なところである。
人格・品性を修養すべき要はひとり教育者にのみかぎるべきものではないが、人の師たるものはすべからく師弟にその範を示すべきであるが故に、その身の修養上、一段と深き注意を払わなければならぬのである。さらに知識においても、己の嗜みとしてある学科を修めるのと、人に伝えるために学ぶのとでは、自ら注意の点を異にすべきである。また人の教師となる者は薫陶・教授の方法について工夫しなければならない。その方法を得れば訓育・教授の成績は当然あがってくる。故にこの方法の研究も絶えずやらなければならない。これ師範学校徳節の要あるゆえんのひとつである(嘉納・著作集3巻238~239頁)
- 「教育之事天下莫楽焉、陶鋳栄西兼善天下、其身雖亡余薫永存」:教育のこと、天下これより楽しきはなし。英才を薫陶して兼ねて天下を善くす。その身、亡ぶといえども余薫とこしえに存す。
男一匹、かけがえのないこの生涯をささげて悔いのないもの
それでは、この「教育者の魂」が見事に養われた実例をみよう。本稿で度々引用している『新体育学講座第35巻 嘉納治五郎 世界体育史上に輝く』の著者、加藤仁平氏は、東京高等師範学校に進学したが、そのときの校長が嘉納であった。
その加藤仁平氏は、嘉納から「神の声」をきいたという。
明治に生まれた青年の常として、著者の中学時代友人の多くは星雲の志に燃えて、帝国法科に、陸士に、海兵にと進んで、未来の大臣、大将や財界の巨頭を夢みておった。家庭の事情その他で地味な高等師範学校へ入学した著者は、教育家の仕事が大臣、大将や財界巨頭のそれにまさるものなどとは夢にもか考えられず、その点でいささかコンプレックスをもっていた。ところが、最上級生になった大正5年のある日、校長嘉納治五郎先生は全校生徒を大講堂に集めて、つぎのような熱弁を振るわれた。
自分は若いとき大学を出て、総理大臣になろうか、それとも千万長者になろうかと考えた。しかし総理大臣になったってたかの知れたものではないか。千万長者になったってつまらないではないか。男一匹、かけがえのないこの生涯をささげて悔いなきものは教育においてほかに考えられない、という結論に達して、教育に向った。それで今やこういうものをつくった。
といって、
教育のこと、天下これより偉いなるはなし。一人の徳教、広く万人に加わり、一世の化育遠く百世に及ぶ。
教育のこと、天下これより楽しきはなし。英才を薫陶して兼ねて天下を善くす。その身、亡ぶといえども余薫とこしえに存す。
という文章をはじめて発表された。
外見はおとなしい、田舎での坊ちゃんのような顔をしていながらも、内実は人一倍、誇大妄想家であった当年の著者にとって、この演説とこの文章とは大きなショックであった。何というすばらしい夢であり、輝かしい希望であろうか。それは近く教育家たらんとする雄心勃々たる若人にとっては、神の声といおうか、予言者の叫びといおうか、誠に福音の響きをもったものであった。
総理大臣よりも、千万長者よりもといわれる嘉納校長の、人心に対する影響、国家、国民に対する貢献を考えて見ると、なるほど、そういえばそういえないことのないほど偉大なものであることが、だんだんわかってきた。嘉納校長一人の徳の教えは、高等師範学校や講道館の弟子を通して、その弟子、そのまた弟子といったように、一波は万波をおこして、日本全国に、漸次世界の各地に、幾万、幾十万、幾百万と加わるであろうし、嘉納先生一代の化育は、遠く十代百代といつまでも続くであろう。先生は人類社会にとっての教育の意義の偉大さと天下の至楽たることとを発見し体現されたのである。そしてその信念によって、私どもを第二、第三の嘉納治五郎たらしめようと精魂をこめて指導していて下さるのである、ということがわかった(加藤仁平・嘉納治五郎259~261頁)。
「総理大臣になったってたかの知れたものではないか。千万長者になったってつまらないではないか。男一匹、かけがえのないこの生涯をささげて悔いなきものは教育においてほかに考えられない。」という「教育者の魂」をもった人を育てること、嘉納は、このような教師こそ、人の一生を支配することになる普通教育、道徳教育を担うことができると考えていた。
教師育成の専門大学
ゆえに、嘉納は、その「教育者の魂」をもった人間を多数育てるため、高等師範学校の校長となって、長年をかけてその定員を大幅に増やすなどし(修業年限を3年から4年に、在学生86名が724名に)、また高等師範学校を拡充して大学にしようと努めた。嘉納は、この師範大学の必要性について、国会において次のように話している。
然るに今の大学の大体の模様は、唯学問の研究ばかり没頭して、学識を得よう知識を習得しようとしている人が多い。訓育の上、品性の上などについて優れている人はその割に尊ばれていない。
こういう傾向であるから、全国の中等教育は悉く皆知識本位となり、小学校にもそれが伝播している。中等学校、小学校までが予備校のように化けて来たならば、どうして本当の国民教育が出来るか。又どうして本当の国家の中堅となる人間を造ることが出来るか。
教育者は人間を造ることを目的とせねばならぬ。そうして人間を造るに必要な素養、又は精神を養わねばならぬ。それが師範大学というか教育大学というか、高等師範学校を基礎として権威ある教育機関が出来なければならぬという主張のあった所以である(加藤仁平・嘉納治五郎208~209頁)
「全国の中等教育は悉く皆知識本位となり、小学校にもそれが伝播している。中等学校、小学校までが予備校のように化けて来たならば、どうして本当の国民教育が出来るか。」という嘉納の叫びは、現代においてどのように受けとめられるだろうか。
そもそも、現在のわが国において、学校の先生に対し、知識を伝えるということのほか、「人間を造る」ということを期待しなくなってきているかのような感があるが、仮にそうであるとするならば、その原因は「教育者の魂」を育成することを怠ったからと言えないだろうか。
フィンランドの教育
この「教育者の魂」の育成が成功したと思われるのがフィンランドである。
現在、経済協力開発機構(OECD)の国際学力調査(PISA)において、トップレベルの成績にあるのがフィンランドであるが、このフィンランドの教育の特長は、教師が専門家として育成されること(教師になるには教師育成専門の大学院を卒業する必要がある)、現場の教師に大幅な裁量があることなどにあると言われる。
フィンランドのトゥルク大学の教師養成学科のハンヌル教授は、教師を大学院で育成する理由について次のようにいう。
質問「フィンランドの大学では、学生は、専門家としての教師、探究型教師に育てられるというが、自分で知識を構成する力をもてということか。」
ハンヌラ教授「それだけではない。教師とは、目の前の生徒に対して、自分こそが彼らを知っていて、彼らを教えることができる、そういう力をもっていると自分を信じることだ。大学で修士号を与え、専門家として育てられるということは、一番の目的は、教師としてのアイデンティティをもたせるということなのだ。」(福田誠治『フィンランドは教師の育て方がすごい』(亜紀書房144頁)。
人口500万人超のフィンランドと1憶人超の日本を単純に比較することはできないが、このフィンランドのトゥルク大学の教師養成学科のハンヌル教授がいう「教師のアイデンティティ」は、嘉納のいう「教育者の魂」と極めて類似しているだろう。
『フィンランドは教師の育て方がすごい』の著者である福田誠治氏は、専門性に欠けると見られたことが日本の教師が尊敬されなくなった理由であるという。
フィンランドで教師が尊敬されているということは、教師が尊敬に値するだけの、また教師でなければできない専門的なことをしているというありきたりの理由がある。それに比べて、日本で教師がそれほど尊敬されなくなったのは、教師のしていることは決まり切った答えを教えるだけのことであり、教師など誰でもできる簡単なものだと考えられるようになったからである(232頁)。
嘉納は、教師育成専門の大学の設立に奮闘し、しかし世の種々の反対に遭って十分な成果を上げることはできなかったが、教師を専門的に育成し高い成果を上げているフィンランドの成功例を見ると、もし嘉納の考えがそのまま通っていたら現代の日本はどのようになっていただろうか、と考えざるを得ない。今回、この嘉納の師範大学論について詳細ふれることができなかったが、機をみてふれたい。
これからの教育と柔道
最後に、上記に関連して、3点ほど、これからの教育を考えるうえでポイントであると思われる点をコメントしておきたい。
第一は、「総理大臣になったってたかの知れたものではないか。千万長者になったってつまらないではないか。男一匹、かけがえのないこの生涯をささげて悔いなきものは教育においてほかに考えられない。」という「教育者の魂」の育成が重要なポイントであると思われるが、誰が現代において「教育者の魂」をもっているか、という点である。
加藤仁平氏は次のようにいう。
嘉納校長一人の徳の教えは、高等師範学校や講道館の弟子を通して、その弟子、そのまた弟子といったように、一波は万波をおこして、日本全国に、漸次世界の各地に、幾万、幾十万、幾百万と加わるであろうし、嘉納先生一代の化育は、遠く十代百代といつまでも続くであろう。
本稿は、この嘉納の教えを受けた弟子、すなわち、日本及び世界各地で指導に努める柔道の先生こそが、組織的に育成された「教育者の魂」をもった人々であり、これまでも、そしてこれからも万民の普通教育を担う人々であるという理解と希望をもっている。
後にふれるが、本稿は、柔道をきっかけとして嘉納を師と仰ぐと「教育者の魂」が自然と育成される、この世界規模の「教育者の魂」育成システムとでも評すべきものが既に存在していることに着目し、このシステムをコアとした次世代の教育システムを考えている。
第二は、嘉納は、より多くの「教育者の魂」をもった者を育成しようとしたが、現在、教育とは、学校の先生のみが担うものではなく、皆で担うものであるという理解に基づき、学校の教師以外の「教育者の魂」を持った者が教育に参画する様々な取り組みが始まっている点である。
学校・家庭・地域が一体となって地域ぐるみで子どもを育てる体制を整えることを目的とした、藤原和博氏(藤原和博 – Wikipedia)の東京都杉並区和田中学校の取組み、それを基にした、文部省の学校支援地域本部(学校支援地域本部に関すること:文部科学省)はその典型である。
第三は、教育という仕事は、教育を受ける側だけではなく、教育を施す側もまた大いなる楽しさを得ることができるということである。
教育の仕事たるや自分の力を尽くしたことによりて、教育を受けた者に満足を与え、また彼らの父母・兄弟らからも喜ばれる。すなわち、自分の成功は同時に、他人の成功をも助けてその満足を得るのである。それが教育の楽しいことの一つである。
「自分の成功は同時に、他人の成功をも助けてその満足を得る」という教育の仕事は、「自他共栄」の極致の一つだろう。
以上、何を仕事として生計を立てるかという点はひとまず脇に置き、学校の教師という枠を超えて、より多くの「教育者の魂」を持った柔道家、柔道愛好家その他柔道関係者が教育に参画し、教育を受ける側も教育を提供する側も共に満足する、そのような仕組みが必要なのではないだろうか。
※本記事は、2010年8月から酒井重義(judo3.0)によってブログで連載された研究論考「勇者出処~嘉納治五郎の柔道と教育」の再掲です。