嘉納治五郎の柔道と教育27 新しい仕組み内容と可能性

今回は、本稿が提案する仕組みの内容についてみていく。

本稿が検討する仕組みは、

  • 異なる地にある道場(国外・国内問わず)にいって、その地の先生の指導を受け、その地の仲間たちとともに稽古をすること、
  • そして、可能であれば道場の関係者宅にホームステイをさせていただき、一定期間その地で生活すること、

である。

柔道ソリダリティの取り組み

つい先日(平成22年12月17日から29日)、柔道家山下泰裕氏が理事長を務める柔道ソリダリティーが、イスラエル・パレスチナの中学生14名を日本に招聘した。日本にきた彼ら彼女らは、講道館での稽古や、広島の原爆ドームの見学、福岡のサニックス国際柔道大会へ出場したという。

柔道というものが、民族や宗教などの違いに起因する対立を超えて絆をつくることができることを象徴する企画であり、この企画を通じて、日本という世界に誇る豊かな文化を有する「異国」を旅した子どもたちは、困難を通じて人と、さらに新しい自分に出会い、一回り大きくなって帰国したのだろう。

本稿は、このように、異なる地で柔道をすることを通じて大きく成長する機会を、あらゆる人に、特に子どもたちに、あまねく提供できる仕組みを検討するものである。

まずはその特長を3点ほど見ていく。

特長(1)「他人の飯を食う」「同じ釜の飯を食べる」

まず、特に子ども(青少年)が異なる地の道場にいって稽古をさせてもらったとき、道場の関係者のお宅にホームステイをさせていただくことである(可能であればだが)。

親元から離れ他人の世話になって「他人の飯を食う」経験をすること、そして、異なる背景を持った人々と共同生活をして「同じ釜の飯を食う」経験をすること、これらが人を大きく成長させるきっかけとなることはおそらく異論ないだろう。

実際、英国のパブリックスクールや米国のボーディングスクールのように、子どもに「いい教育」を提供したいと考える親は、寄宿学校を選ぶケースが多いという。

日本の場合、今最もタイムリーなものは、今年、軽井沢に設立予定の、日本と世界各国の高校生が共同生活をする高校、軽井沢インターナショナルスクールPage not found – UWC ISAK Japanである。

この「他人の飯を食う」「同じ釜の飯を食べる」という経験の関して、改めて詳細にふれるが、2点ほど簡単にふれておきたい。

DeSeCo

1点目は、経済協力開発機構のプロジェクト”DeSeCo”に関してである。

2003年、経済協力開発機構(OECD)は、「どのような人間であれば個人として物質的にも精神的にも豊かになるか。」そして「どのような人間であれば社会は正常に機能するか。」という問いに解を出した。そのプロジェクトが通称”DeSeCo”DeSeCo – Wikipediaである。

その解とは、思慮深さ(反省性)を核として、(1)相互作用的に道具(言葉、数字、科学技術、情報など)を用いる力、(2)異質な集団で交流する力、(3)自律的に活動する力、という三つの力をすべて備えた人間というものである。

単純化すれば、例えば「異質な集団で交流する力」が育成されなければ、いい仕事にありつけず、収入は低く、人間関係にも恵まれず、物質的にも精神的にも豊かになれないというものであるが、「学力」中心の、同質的な集団で行われる現在の学校教育において、このような力を伸ばすための有効なプログラムがそもそも存在するだろうか。

DeCeCoは、学校教育の大部分を占めるいわゆる「学力」((1)の「相互作用的に道具を用いる力」と類似)は、人が社会で幸福になるための力のうち、わずか30%強でしかすぎないことを明らかにし(ある意味当然ではあるが)、学校教育の大幅な改善を求めているのである。

(その「学力」についても記憶をしたものを吐き出すのではなく、実社会で活用・応用できるものであるを求めている。)

この”DeSeCo”は、欧州連合(EU)を創るというヨーロッパ諸国のニーズが強く反映されているのではとも指摘されているが、いずれにしても、これからの国の教育政策に大きな影響を及ぼすものであり、何より、一人一人がどのような人間になれば幸福になることができるのかについて指針を得ることができる点でも参考になる。

従来、ともすれば、「他人の飯を食う」「同じ釜の飯を食う」経験は、「学力」の勉強より低価値と考えられる傾向があったと思われるが、「異質な集団で交流する力」や「自律的に活動する力」を育成するプログラムとして、国語や数学の勉強と同程度に重要なものだったのである。

実際、山形県戸沢村や長野県青木村no titleでは、子どもの社会力を育てるため、地域の大人と子どもが一緒に数日間の合宿をする取り組みが行われている(門脇厚司「社会力を育てる」(岩波新書))。

コミュニティを創る

2点目は、「コミュニティ」に関してである。

単純化した話を続けると、仮に「学校教育では、「異質な集団で交流する力」や「自律的に活動する力」は育成できない、それは家庭でお願いします。」となった場合、どうなるだろうか。

どうしても、裕福な家庭の子どもはこれらの力を身につけるが、そうではない家庭の子どもは身につけられない、という社会の二極分化の傾向が生じることになる。

この場合、DeCeCoの枠組によると、三つの力は、本来全ての人が身につけてこそ社会は正常に機能することから、一部の者だけが身につけるいうことになったら、社会が正常に機能しなくなり、全ての人が被害を蒙ることになる。

そこで、「学校」では足りず、「家庭」に全てを委ねるのもダメならば、地域、「コミュニティ」ということになる。つまり、学校の先生だけでは教育できず、親に全て任せてもうまくいかないから、より多くの大人が協力して、他人の子どもに関わる必要がある。

それでは、一体、誰が、大人が子どもの教育に関わるためのコミュニティを作り上げるのだろうか。

この点、様々な団体が様々な取り組みを行っており、政府も例えば次の支援を行っているが、

本稿の解は、柔道家が、柔道関係者が、である。

実際、地域にある道場は、コミュニティを形成し、子どもの教育を担ってきたが、ここでのポイントは、本稿で検討している仕組みを取り入れると、柔道コミュニティは、より豊かで、より教育効果の高いコミュニティになるのではないか、という点にある。

現在の柔道のコミュニティの特長をざっくりと表現すると、特定の年齢(学校柔道部など)、特定の団体(企業や警察など)、特性の性別(男子だけ・地域の道場など)、つまりは同質的な集団だと推測されるが、これからの教育の課題を考えると、老若男女が集うような多様性のあるコミュニティが必要となる。

年配者と子供、選手、一般愛好家がともに汗を流せる空間を共有することで初めて、子供にも社会教育を施せることになるのではないか。(松原隆一郎「武道を生きる」62頁)

この点、ホームステイを受け入れたり、ご飯を用意したりといった、柔道の稽古以外の作業は、指導者以外の大人の協力が必要不可欠となる。したがって、長期的には、柔道指導者以外の大人が参加する、老若男女が集うコミュニティをつくることができるのではないだろうか。

そして、地域の道場が、大人が協力して子どもを育てる多様性のあるコミュニティとなり、物質的にも精神的にも豊かな人間を育てる空間であると認知されれば、より多くの人が柔道を学ぶことになるだろう。

特長(2)「かわいい子には旅をさせよ。」

次の特長は、国内外を問わず、異なる地にある道場に旅立つことである。旅が人を大きく成長させることがあることは周知の事実だろう。

この点、同種の取り組みとして参考になる事例は、年間1000人以上の中学生に1ヶ月間の海外でのホームステイの機会などを提供している財団法人ラボ国際交流センターの取り組みであるトップページ|(公財)ラボ国際交流センター(門脇厚司「社会力を育てる」193頁)。

HPに掲載されたこのラボ国際交流センターの目的は素晴らしく、本稿で検討する仕組みが目指すものでもあるので、以下引用する。傍線は筆者である。

■ラボ国際交流の精神

この計画は単なる観光旅行や通りいっぺんの修学旅行ではありません。こどもたち自身が何年もかけてこころの準備をし、激動の青春期に入ってゆくまえのもっとも大切な瞬間である10代のなかばに未知の生活を体験し、そのみずみずしい回想をその後の成長の核にしていこうとするものです。

この計画が目指しているものは、第一にこどもたちに、深く、温かい人間関係を網の目をとおして、世界を知ってもらうということです。そのためには、こども自身が外国の友だちを作り、友情を育てることです。地球儀と本だけで世界を知ろうとするのではなく、ひとびとのこころとのふれあいをとおして知っていくことを目指しています。

つぎにこの計画がめざしているのは、こどもたちのすこやかな巣立ちを用意してやることです。「これからおとなの世界へはいっていくのだ」という決意を、青少年のある日にしなければならないは、昔も現代も変わりありません。その意味で外国でひと夏をすごすことは、ともすればおちいりがちな今日の過保護状態を、このような姿で断ち切りたいものです。

ある目標にむかって長い間歩きつづけることのできるこどもたちを育てることです。おさない日にたてた計画を、5年、10年かかって実現する—そのとき、こどもたちは、すでに何ものかをつかんでいるはずです。この、ラボ国際交流という種子に、朝夕かかさず、よろこんで水をやる習慣がつくように、わたしたちおとなの側から見まもってやりたいと考えます。

■ラボ国際交流の目的

□ひとりだちへの旅

異なった国で他人の家族でホームステイするということは、楽しいことや嬉しいことだけでなく、つらいことや嫌なことも出てくるかもしれません。日本にいると両親がいつも面倒を見てくれているのではあまり大きな問題はないでしょう。しかし、他人の家庭でホームステイするということはすべて自分の判断や自分の力で解決しなければなりません。このような体験は自己の成長や自信に大きく貢献するでしょう。

□体験をとおして学ぶ

地図や本の上で知っている外国ではなく、もう一つの外国の家族とともに生活しながら、直接肌で触れたり、見たり、聞いたりして、外国住む人たちのことを学ぶことはとても大切なことです。今まで育った環境とはまったく異なる土地で外国の人たちと接することによって、文化や習慣、考え方の違いだけでなくいろいろなことを発見するでしょう。

□異文化を理解しよう

「郷に入れば郷に従え」ということわざがありますが、外国での生活もこのことばはあてはまります。日本と違う文化や習慣を素直に受け止め、現地の人たちとの生活方法を理解し、素直に認めるという柔軟な心があれば、相互理解が深まります。異文化を理解することによって、あらためて自分自身や日本のことがわかるでしょう。

(出典)http://www.labo-intlexchange.or.jp/about.html

さて、もし世界各地の道場が世界各地から青少年を毎年定期的に受け入れたら、どうなるだろうか。

単純に計算をして世界200カ国、一つの国で500の道場(一都道府県あたり10強の道場)が年2回それぞれ10人受け入れたら、毎年200万人の子どもが冒険に旅立つのである。

ここでのポイントは、この冒険の旅は、特定の地域・集団だけが共有するものではなく、世界の人々が共有する、地球規模の「子ども」が「大人」になるための「通過儀礼」となる可能性があるということである。

この「通過儀礼」とそれを支える「神話」については改めてふれるが、「地球規模の通過儀礼」というものが意味するところは、地球上の全ての子供たちが自分たちの子供たちと考えられ、地球上の全ての大人が協力して彼ら彼女らを共に育てる、という夢のような世界である。

古来より、保護されて育ち、社会に依存する「子ども」を、社会を支える一員としての自覚と責任のある「大人」に変身させることは、社会において最も重要なことの一つであった。その変身をもたらす仕組みが、「子ども」が「大人」になることをモチーフにした神話であり、その神話を再現する通過儀礼である。

もっとも、近代以降の人々は、その神話を不合理な物語として扱い、また、伝統的な共同体が崩壊したことにより、「通過儀礼」が失われ、子供を大人に変身させる力が弱体化、その結果、あらゆる社会問題が生じている。

そこで、改めて神話に目を向けたとしても、特定の集団、特定の地域だけで通用した神話は機能不全を起こしている(宗教の違いによる対立など)。この原因は、グローバル化した現在、神話を必要とする「社会」とは、特定の集団、特定の地域ではなく、「地球」だからである。したがって、地球の生きとし生けるものすべてが共有する神話が必要なのであるが、現在、そのような神話はないという(ジョーゼフ・キャンベル「神話の力」参照)。

(ちなみに映画監督ジョージ・ルーカス氏は、この神話なき世界に神話を作ろうとし「スターウオーズ」を作ったという。)

しかし、実は、部分的であるとしても、世界200カ国以上に普及した嘉納の物語は、特定の集団・地域を越えた、地球規模の神話である。しかも宗教上の排他性を有しない。この嘉納の物語に含まれた冒険の旅(前回参照)を世界各国の人々が共に再現すれば、それは(部分的であっても)人類が共有する(初めての?)普遍的な通過儀礼ではないだろうか。

特長(3)柔道を中心としたプログラム

第三の特長は、当然ながら、柔道を中心としたプログラムであることである。必ずしも選手権大会などの試合に参加する必要はないが、とにかく柔道をすることである。それ以外はそれぞれのニーズに合わせて作り上げられる。

体育の有効性や可能性については、主に第13回から第15回でふれたが、徳育を行うには体育が最も効果的であり、だからこそ嘉納は柔道を作り普及させたのである。

ここで改めてふれておきたいのは、体育の成功例としてあげた米国イリノイ州ネーパーヴィルの体育教師ジェンタルスキ氏の次の問いかけである(第15回第15回 米国イリノイ州ネーパーヴィルの奇蹟 – 勇者出処 ~嘉納治五郎の柔道と教育~)。

「高校を卒業するまでに子どもたちにできるようになっていてほしいことはなんでしょうか。多くの人はこう答えるはずです。コミュニケーションがうまくとれるようになっていてほしい。何人かと協力しながら仕事ができるようになってほしい。問題を解決できるようになってほしい。リスクを恐れない人になってほしい。それを学ぶことができるのは、どこでしょうか。」

ジェンタルスキは客人たちを見わたした。

「理科の授業でしょうか?わたしは、そうは思いません。」

ジェンタルスキ氏は、例えば、体育にスクエアダンスを取り入れ、パートナーと会話をして踊る経験を生徒に提供し、人と関わる方法を教えている。

この点、柔道は、たとえ、言葉が通じなくても、また言葉が通じるとしても言葉だけでは必ずしもいい人間関係を築くことができない場合であっても、二人の人が向かい合い、肌と肌、肉と肉、骨と骨を重ねながら、言語を介さないコミュニケーションをし、つながりを、絆を作ることができる、一種のコミュニケーションツールである。

もし、あまねく子供たちが、世界を旅し、異なる背景、異なる文化をもった人々と一緒に柔道をして、同じ釜の飯を食い、絆をつくったならば、その経験は、その後の彼ら彼女らの成長、人生観、世界観にどれほどの影響を及ぼすだろうか。

想像するだけでワクワクするようなことであるが、そのような仕組みを大人が協力して作り運営することは、大人の最高の遊びだろう。

ちなみに、この教育を受ける側と提供する側のwin-winの関係こそ、嘉納が教育に携わる者に伝えたかったことである。

次に、教育というものは、大いに楽しき事業であるということを知らねばならぬ。人間のする仕事はいろいろと多いが、往々にして自己の成功が他の成功と両立せず、他より妨害を受け圧迫せられたりすることが起こってくる。しかるに教育の仕事たるや自分の力を尽くしたことによりて、教育を受けた者に満足を与え、また彼らの父母・兄弟らからも喜ばれる。すなわち自分の成功は同時に、他人の成功をも助けてその満足を得るのである。それが教育の楽しいことの一つである。(嘉納・著作集・第3巻238頁)

対象者

世界中、誰であってもどこに行こうとも柔道を楽しめる。これが理想であるが、仕組みとして優先順位が高いターゲットは、嘉納が対象とした、道徳教育が最も高い効果を発揮する、世界各地の青少年であり、(その時点の技術や体力的な強さより)、己を完成させ世を補益したい、そのための機会がほしいという志を持っている者である。

また、嘉納は、「講道館は教えるということについては、道は金と交換にこれを授くべきものではなく、志あるもののみこれを教授するのである」(嘉納・著作集3巻94頁)として、道場の維持費などの実費負担はやむなく求めたが、授業料は求めなかった。したがって、家庭や国に財産がないという理由でこの機会が与えられないということがないよう何らかの仕組みが必要だろう。例えば、世界中の人々がネットを介して発展途上国の起業家に融資をするKivano titleは示唆に富む事例だろう。*1

実施場所

異なる地にいる志ある青少年に、自分たちの道場で稽古をし、ホームステイをさせようという意思のある柔道家のコミュニティがあれば、世界の何処ででも実施できる。

実現には何が必要か。(1)認識の転換

それでは、このような仕組みを作ることは現実的に可能なのだろうか。

もしこの仕組みの構築を妨げるものがあるとすれば、その一つは「柔道はスポーツである」という認識にあるのではないだろうか。

柔道は、選手権大会という近代スポーツの仕組みを取り入れ、1964年に東京オリンピックから正式な競技種目になったことなどから、戦後「スポーツ」の一種として広く認識されるようになった。

しかし、改めて柔道を捉えなおすと、次のような強みをもっている。

  • 世界200カ国以上に及ぶ世界最大規模のネットワークを有すること
  • 嘉納治五郎という非常に高い基本理念を共有していること
  • 武を軸とした徳育としての体育という手法を有していること

この柔道の強みを考慮し、嘉納の視点から捉えなおせば、現在の柔道とは、「体育に強みがある世界最大の普通教育機関」と認識したほうが適当である。

本稿は、柔道を「スポーツ」として捉える見方は、柔道の短期的な目標に焦点をあわせた見方であると考えている。

「スポーツ」ではなく「普通教育」として柔道を認識できるのであれば、教育のために、その世界最大のネットワークをシンプルに活用して、異なる地にある道場で稽古する機会を作ることはきわめて自然なことだろう。

既に「IT革命」といわれる技術の進歩により、ネットにさえつながっていえれば、世界の何処にいる人とでもコミュニケーションがとれるのである。

したがって、柔道というものについて、「スポーツ」からスポーツを包摂する「教育」へとより広いものと認識し、このような仕組みが必要であると考える人が増え、そして集えば、実現可能ではないだろうか。

なお、再度確認するが、この仕組みは、柔道の長期的な目標を実現するための仕組みであり、オリンピック金メダリストを育成するという、短期的目標に焦点を合わせた仕組みではない。

世界中のあらゆる分野・領域が、精力善用・自他共栄という「道」を体得した人材を必要としているのであり、柔道競技という重要ではあるが柔道の一領域にしかすぎない分野に特化するわけにはいかないのである(既に既存の仕組みで、強化選手等が海外で修行する機会はつくられている)。

実現には何が必要か。(2)「プラットフォーム」

本稿で検討している仕組みとは、「場」(プラットフォーム)を創り、ある道場で稽古をする青少年と、異なる地にある道場を結びつけ、単独では出せない価値を生み出すというものであり、百貨店という「プラットフォーム」を作り店舗と顧客を結びつける、ヤフーオークションという「プラットフォーム」を作り、売主と買主を結びつけるという取り組みと同種のものである。

この仕組みを機能させるための戦略については、2001年に大前研一氏が作った「プラットフォーム」という概念に基づき既に立案されている。

そこで、最近出版された平野敦士カール氏及びアンドレイ・ハギウ氏の書著『プラットフォーム戦略』(東洋経済新報社)を参考に、以下、「プラットフォーム」が有効に機能するための必要事項をあげておく。

  • 成長したいと願う青少年とこれを受け入れる道場が出会う「場」(プラットフォーム)を作り、マッチングさせること。
  • さらに、青少年や道場と、これらの者を支援する者が出会う「場」を作り、マッチングさせること(例えば、旅に出る青少年が旅行会社のサービスを受けてチケットを取得するなど。)
  • 各グループが個別に対応していてはコストがかかることをサポートすること(関係者への連絡、スケジュール調整、決済、集客、トラブル対応など)
  • 参加する青少年や道場が信用できる存在であることを認証すること
  • より多くの人がこの「場」に参加したいと思われるように、「場」内の交流を盛んにすること

組織やサービスのあり方

プラットフォーム運営組織のあり方や資金獲得方法、サービスのあり方として重要なことは、「道は金と交換にこれを授くべきものではない」という嘉納の教えである。これに適合する組織やサービスのあり方を考えなければならない。

様々な方法があるが、何が適当かは試行錯誤から見出す必要があるのだろう。参考になると思われるのは、2006年にノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行総裁のムハンマド・ユヌス氏が提唱する以下のような「ソーシャル・ビジネス」という形態である(ムハンマド・ユヌス「貧困のない世界を創る」「ソーシャルビジネス革命」参照)。

  • 政府にやってもらおうと思わず、自分たちで組織を作り、活動をすること。政府にお願いしてもやってもらえるか不明であるうえ、大抵は非効率である。
  • 組織の目的は、社会問題の解決であり、利益の最大化ではない。
  • サービスを提供し、そのサービスの対価を得て、活動資金とすること(ビジネスの手法を用いること)。寄付や助成金に依存すると事業が持続できなくなってしまうおそれがある。
  • 投資家に利益を配当しないこと(元本のみ返還)。投資家に利益に配当する目的とその圧力の下で活動をすると、活動領域が狭くなり、実現しようとした社会的目標が実現できなくなるうえ、結局、豊かではない人からお金を巻き上げることになってしまう。
  • 投資した人が組織を所有し、事業運営に参加できるようにすること。組織を所有し事業運営に参加することこそ投資した人の誇りであり、投資に対するインセンティブが働く。NPO法人や財団法人の場合、寄付をしても組織を所有することができず、運営に参加するためには理事や従業員になる道しかないが、このような仕組みだと組織に投資するインセンティブが働かない。
  • 従業員には一般企業と同じ水準の給与を支払うこと。事業は人である。人は引き付けるためには一般企業と同じ水準の待遇を用意しなければならない。
  • これらを完全に満たす制度はないが、現在の制度の中では、株主に配当しない株式会社となる。

次回

以上が仕組みの概要とその可能性である。

次回以降、以下の4つの視点から、改めて、何故この仕組みが必要なのかをみて、本稿の第二部を終わりとしたい。

  • 柔道の長期的な目標
  • 教育の目標
  • 日本の国家戦略
  • 新しい神話・通過儀礼・コミュニティ

*1:貧困にしても、環境破壊にしても、あらゆる問題の根本は、人間の精神、意識、心にある。この人間の精神、意識、心に活力が燈れば全てが大きく改善されるが、その活力を人間に与えるものとは何だろうか。嘉納は体育であると考え、国民の体育の振興を図った。最近の脳科学の研究結果はこれを実証している。

※本記事は、2010年8月から酒井重義(judo3.0)によってブログで連載された研究論考「勇者出処~嘉納治五郎の柔道と教育」の再掲です。

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