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長期育成指針を読んで三つの感想-6ステージ・身体リテラシー・大会/昇級/研修-

2023年8月24日(木)、全日本柔道連盟は「長期育成指針」を公表した。長期育成指針とは、「柔道に関わる全ての人、国民に対し、柔道を通して成熱していく理想的な姿を提案すべく策定した指針。生涯発達のプロセスを6つの段階に分け、それぞれの段階で求められる育成の視点を提示している」というものである。

「長期育成指針」について

そこで、NPO法人judo3.0は、翌5日(金)、3.0オンラインカフェ(2020年3月から毎週金曜日に開催している、誰でも参加できるオンライン上の勉強会)で、この長期育成指針を取り上げ、15名強のこのテーマに強い関心を寄せる参加者と話し合った。

資料を読まずに参加でき、報告者による資料の要約の発表を聞いて意見を述べる形式なので、すべての参加者が資料を十分に読み込んで意見を述べているわけではない。どちらかというと内容の是非を詳細に話し合うというより、全体的な印象についての意見交換であった。

以上の経緯を踏まえて、参加者から様々な意見が出されたが、指針に対して消極的な意見は主に以下の二つだった。

  • 難しい言葉がたくさんあって、分かりにくい。あまり読まれないのではないか。
  • 内容は良いと思うが、これまでのことを考えると、どうせ絵に描いた餅になるのではないか。

そこで、本記事では、3.0オンラインカフェでの各種の意見を参考にしながら、長期育成指針でポイントではないかと思った点や「絵に描いた餅」にならないためにはどうしたらいいのかについての感想に触れていきたい。もっとも、あくまで筆者の独断と偏見に基づく解釈と感想である。今後、全柔連から指針の分かりやすい解説や指針に基づくアクションは行われると思うので、こういう視点もあるかもしれない、間違っているかもしれない、という参考程度に読んでいただけたら幸いである。

ポイント①:画一的な育成から、6つのステージに分けてそれぞれのニーズに即した育成へ

6つのステージに分ける理由

長期育成指針の最大のポイントは、柔道に関わる人を6つのステージ(幼児・小学生・中学生・高校生・大学生等・生涯)に分けた、という点にある。それぞれのステージで、求められていること、他のステージと異なる特徴があるので、それがしっかり把握、対応して育成していこうというもの。

それでは、なぜ6つのステージに分けたのだろうか。この作成の意図について、長期育成指針には以下のようにある。

スポーツ分野におけるこれまでの人材育成では,即効性や効率性が重視される傾向があり,学校における身体教育(体育),レクリエーションスポーツ,および競技スポーツが別々に展開されることが多かった.しかし特定の目的のためだけに行われる人材育成では,全ての子どもたちに身体的,心理的,社会的,認知的な基礎を培った上に各人の才能を最大限に開花させることは難しいということが,国際的なコンセンサスになっている.そのため,特定の目的だけに固執しすぎることなく,発育年齢等に合わせた適切な「環境」を継続的に与えることが重要となり,心身の生涯発達を長期的な時間軸で捉えていく「長期育成」の視点が必要である(赤字は筆者)。出典:長期育成指針「Ⅰ 「長期育成指針」作成の意図」

これまでの育成は、「特定の目的」だけに固執していたので、各人の才能を最大限に開花させることができなかった、ということが暗に述べられている。 それではこの「特定の目的」とは何だろうか。

ここでは一般的な意味での「特定の目的」であり、それ以上に深い意味はない、と考えるのが素直な解釈かもしれない。 もっとも、文脈を考慮すると、「特定の目的」とは「大会で勝利すること」であり、「大会での勝敗」だけに固執してしまったので、各人の才能を最大限に開花させることができなかった、と捉えたほうが自然かもしれない。

この点に関して、全柔連がウエブで長期育成指針を公表した「お知らせ」には以下のようにある。

当連盟では、「JUDO for ALL」を合言葉に、年齢、性別、障がいの有無の分け隔てなく、誰もが柔道に親しめる環境づくりに注力しております。この取組を推進し、あらゆる人が多様な柔道の価値を享受できる体制を構築することが、柔道界が担う社会的役割であるといえます。 当連盟の登録人口減少の原因を調査したところ、人口が急激に減少した時期に共通して問題視されたことは、指導者不足(指導者養成不足)と環境の不備でした。さらに、他国のスポーツ離れとの共通項を探ると、『勝敗』という画一的な評価が影響していることがわかりました。(※赤字は筆者) 出典:全日本柔道連盟WEB 2023年8月24日「長期育成指針」について

つまり、「誰もが柔道に親しめる環境づくり」に注力しているが、うまくいっておらず、柔道人口は減少しており、その原因の一端は「『勝敗』という画一的な評価が影響している」ので、それを改善するため「長期育成指針」を作成したのである。

これは、全柔連が「ややもすると勝ち負けのみに拘泥しがちな昨今の柔道の在り方を憂慮し」、2001年から始めた「柔道ルネッサンス」に共通する問題認識であり、勝敗にこだわりすぎることによって人材育成が損なわれている側面がある、という認識は関係者に広く共有されていると思うので違和感は少ないと思う。

なお、念のため付言すると、大会で勝利を目指すこと自体に問題があるわけではない。この点は長期育成指針で以下のように明記されている。

「勝利至上主義」自体に善悪はなく,むしろ当然の思考である.問題なのは,柔道が内包する多様な価値を受容できない柔道実践者の思考や,評価に際して勝敗以外の多軸を用意できない柔道実践者の狭隘な価値観であり、特に指導する際には留意しなければならない。出典:長期育成指針「2.大会の高度化・低年齢化と個人差や性差の軽視」

これらを踏まえて、長期育成指針を意訳すると、以下のとおりである(あくまで筆者の推測による意訳である)。

長期育成指針を一言二言でいうと

これまでの育成は、事実上、「みんなで大会の勝利を目指して一緒に頑張ろう。そうしたらみんな成長する」という画一的なものになってしまっていた側面がありました。

しかし、柔道に関わる人は、幼児から高齢者、トップアスリートを目指して毎日厳しい稽古する者から健康のために週1回ゆるく稽古する者、同じ年齢で同じ目標を持っていても発育が早くで体格が良い者からまだ身体が出来上がっていない者まで様々です。

これだけ多様な人々に対して、一律に「みんなで大会に出て勝利しよう」に固執してしまうと、育成がうまくいかず、それぞれの才能を最大限に開花させることができません。特に、日本は少子高齢化が進んでおり、少なくなっている子供の才能を誰一人取り残すことなく開花させるためにも、そして、割合が増えている中高年のためにも、もっときめ細かい育成をする必要があります。

そこで、それぞれのニーズや個人差を考慮した育成をするため、柔道に関わる人を、ある程度ニーズが共通する6つのグループに分けて育成します。

  • ステージ1:0歳~5歳(≒幼児)
  • ステージ2:6歳~11歳(≒小学生)
  • ステージ3:12~14歳(≒中学生)
  • ステージ4:15~17歳(≒高校生)
  • ステージ5:18~24歳(≒大学生等)
  • ステージ6:生涯(≒中高年)

幼児には幼児の、高校生には高校生の、中高年には中高年のニーズや特徴があり、またそのステージの中でも様々な個人差があります。それらをしっかり考慮して、彼ら彼女らにとって最高の環境を作って、育成していきましょう。

※上記ステージの(≒〇〇)は筆者が記載

衝撃コメント「これまでなかったのですか?」から考える

さて、勉強会の参加者から以下の質問が出された。

「子供が柔道をしている保護者です。柔道のことはあまり分からないので恐縮です。ステージに分けて育成を考えるという指針が今回出たということですが、これまでなかったのですか?」(意訳すると「小学生とか、中学生とか、高校生とか、大人とか、それぞれ特性が違う人を教えるとき、その特性を踏まえて教えるのが当たり前だと思いますが、これまでどうしてたんですか?」)

会議室内がシーンとなったが、この質問はこの指針の特徴を考えるうえで示唆に富む。

第1に、少年柔道クラブでも高校柔道部でも、実際に現場で指導する先生は、当然ながら、目の前にいる生徒、誰であっても、それぞれの特性を踏まえて指導しようと奮闘している。しかし当然ながら個人の努力には限界がある。集団で協力関係を作って物事に取り組むからこそ集団の環境を改善していくことができる。

それでは、第2に、集団としてこれまでどのように対応してきたのだろうか。ステージ2の小学生は少年柔道クラブの指導者が地域の柔道連盟などを通じて、ステージ3の中学生は中学校の先生が中体連を通じて、ステージ4の高校生は高校の先生が高体連を通じて、ステージ5の大学生は大学の先生が全日本学生柔道連盟などを通じて、それが長期育成指針に適う取り組みか否かはさておき、組織的な取り組みを行ってきた。したがって、「これまでどうしていたのですか?」という点について、ステージ2~5はそれに関係する組織があって、何らかの対応を取っていた、という回答になる。

それでは、第3に、ステージごとに何らかの対応がとられていたとすると、長期育成指針の意義はどこにあるだろうか。思うに、これまでは、何らかの対応をとっていたとしても、何を目指して、何をするのか、問題は何なのか、がよく見えなかった。しかし、この指針によって、何か問題なのか、何が解決の方向なのか、何を目指すのか、何をしたらいいのか、が明らかになった。つまり、一部の関係者にしか共有されず一部の関係者が人知れず頑張っていたところ、この指針によって明確になり、多くの人々が協力して活動しやすい基盤ができたことが大きな意義ではないだろうか。

なお、各ステージの人々固有の特徴があり、それに対する最善の対応というものがあると思うが、例えば、小学生の指導法の公式ガイドブックとか、ステージごとの英知が集約したものが見当たらない。一部の人にしか共有されていない英知を、選手でも指導者でも関係者でも、誰でも、何時でも、どこにいても、学べるようにすることが求められるが、英知の結集を促す長期育成指針はこれを可能とするのではないだろうか。

以上、上記はあくまで推測にすぎないが、各人が各所で目の前のことを頑張っていても、全体がよく見えないし、これからどこに向かえばいいかも分からない、という現状において、この指針は道筋を示した。これまでにない画期的なことだろう。

各ステージの環境

最後に各ステージの特徴について簡単に触れる。長期育成指針ではそれぞれのステージで、どのような環境をつくったらいいのか、どんな運動をしたらいいのか、どんな大会運営をしたらいいのか、この時期に何を学んでほしいのか、などが箇条書きで記されている。 例えば、

  • ステージ1(≒幼児)は「「楽しみ」や「喜び」を発見することが最も重視されるステージ」なので運動遊びをたくさんしよう、
  • ステージ3(≒中学生)は成長期なので、成長が早い子供、遅い子供がいる。成長の遅い子が成長の早い子と同じトレーニングをしてケガをしたり、成長の早い子が周りから期待されすぎて頑張りすぎて燃え尽きてしまうこともある。子供は身長が急激に伸びる時期(PHV:Peak Height Velocity)があって、その時期を過ぎるとそれほど伸びなくなって大人の身体になるので、子供のPHVを把握して、成長スピードの速度を考慮したトレーニングや育成をしよう。
  • ステージ5(≒大学生等)では、「ハイパフォーマンス柔道」と「ウェルネス柔道」という二つのタイプの柔道が提示され、前者では卓越したアスリートになるための専門的・長期的・計画的なトレーニングを受けれるようにしよう、後者では人々が柔道でストレス発散ができるようになろう、

などである。

詳細は長期育成指針を読んでいただけたらと思うが、6つのステージに分けて、ステージごとに検討していこう、という方針が出されたので、繰り返しとなるが、今後は、この指針を参考として、ステージごとに、どのような環境を作ったらいいのか、どのような指導をしたらいいのか、を話し合い、各ステージの人々に最適な環境を作り上げていくことになる。

ポイント②:共通目標としての「身体リテラシー」

長期育成指針を理解する二つ目のポイントは、各ステージに共通する目標として「身体リテラシー」という新しい言葉が登場したことである。 長期育成指針に以下のようにある。

発育発達の途上にある柔道実践者に短期間での成果(直近の試合での勝利等)を求めるべきではなく,生涯にわたって醸成されるPhysicalLiteracy(以下,身体リテラシー)を,十分な時間をかけて高めていく必要がある。この身体リテラシーは,身体活動を行っている際に獲得,応用され,生涯にわたり全体的に学習されていくもので,身体活動を通して心身共に健康で幸福な生活を営むことを可能にする資質や能力をいう.そして,身体リテラシーは,身体的能力(運動・スポーツを通して獲得,応用できる体力とスキル,効率的で効果的な動き),心理的能力(運動・スポーツをしようとする態度や情意,運動・スポーツに参加する自信や有能感,運動・スポーツへの動機付け),社会的能力(運動・スポーツと関わり,他者と営む相互作用,他者への感受性,他者に関わる力),および認知的能力(運動・スポーツの行い方,運動・スポーツを行う理由,運動・スポーツを行う時期等,自分の運動・スポーツパフォーマンスや健康に及ぼす諸原理に関する知識と理解)を統合する形で変化していくとされる。出典:長期育成指針の「3. 発育発達の遅速の影響が十分に考慮されない指導体制」

柔道をしたら何を得られるのだろうか。また、柔道による育成の目標は何だろうか。もちろん柔道で何が得られるかは個々人のニーズによって様々である(自信がついた、いい仕事につけた、ダイエットができたなど)。しかし、何を共通の目標として育成をしたらいいのだろうか。

この点、「直近の試合での勝利」を目標としていたときは、試合の勝ち負けを通じた個人の成長が容易に想像できた。しかし、「直近の試合での勝利」はあくまで育成の一つの方法であり、その以外の方法もあるとなったとき、ステージ1からステージ6までに共通する育成の目標をどのように定めたらいいだろうか。

この点に対する回答が「身体リテラシー」、すなわち「身体活動を通して心身共に健康で幸福な生活を営むことを可能にする資質や能力」である。 これを表したものが以下の6つのステージの図であり、図の右側に6つのステージに共通する目標として「身体リテラシー(PhysicalLiteracy)の涵養」が掲載されている。

「身体リテラシー」というコンセプトは、近年、体育・スポーツの分野で国際的に広がりを見せており、日本政府のスポーツ基本方針でも言及されたものであるという。

身体リテラシーの定義について国際的なコンセンサスはないものの,身体活動を促進する要因の一つとして,注目されている概念である.国内では,学校教育における体育・保健体育の授業に期待される役割についての言及の中で,「生涯にわたって運動やスポーツを継続し,心身共に健康で幸福な生活を営むことができる資質や能力(いわゆるフィジカルリテラシー)」の育成を図る(第3期スポーツ基本計画,2022 年),と子どもを念頭に,獲得が推奨されるものとして用いられている.国際的には,この概念の適用は子どもから高齢者まで広く拡張され,身体活動を行っている際に獲得,応用され,生涯にわたり全体的に学習されていくもので,身体活動を通して心身共に健康で幸福な生活を営むことを可能にする資質や能力という解釈がなされることが多い。出典:長期育成指針の注16

以上、長期育成指針は「身体リテラシー」というコンセプトを取り入れて、柔道を通じて「身体リテラシー」を高め、人々が心身共に健康で幸福な生活を営むようになることが柔道教育の共通の目標であることを示した。この点が指針の二つ目のポイントだと言える。

※「身体リテラシー」についての参考文献: 日本スポーツ協会「身体リテラシー(Physical Literacy) 評価尺度の開発」令和4年4月 30 日

ポイント③:三つアクション(大会・昇級昇段・研修)に注目

最後に「長期育成指針は良い内容だが、「絵にかいた餅」にならないか」という意見について触れておきたい。実現するためには具体的にどうしたらいいのか、どこに着目したらいいのだろうか。

以下、目次を抜粋するが、長期育成指針では「Ⅲ 柔道を取りまく課題」として以下があげられ

  • 1. 柔道人口の減少
  • 2. 大会の高度化・低年齢化と個人差や性差の軽視
  • 3. 発育発達の遅速の影響が十分に考慮されない指導体制
  • 4. 連続性のある普及(発掘)・育成・強化体制と練習環境(道場)の全国的な整備不足
  • 5. 柔道指導者等のアントラージュへの教育機会の欠如
  • 6. 柔道を学ぶ意義の理解の欠如

「Ⅳ 全柔連が目指す長期育成の方向性」として以下があげられている。

  • 1. 柔道の多様な価値を享受する機会の確保とアスリートパスウェイの提案
  • 2. 多様な評価軸を用いた他者や自分自身との挑戦の支援
  • 3. 個人差を考慮した安全で適切な柔道指導の推進
  • 4. 柔道実践者が生涯にわたって円滑に活動が継続できるようにするための支援
  • 5. 全ての世代への支援ができる柔道指導者等のアントラージュの拡充
  • 6. 柔道を通した修心の到達目標・内容の明示と普及

本文には様々なことが詳細に記載されているが、これを読んだとき、必ずしもこれから具体的にどうなるのかイメージしやすいわけではない。 例えば、「3. 個人差を考慮した安全で適切な柔道指導の推進」のところでは、「発育発達の遅速,性差,あるいは障害の有無等,個人差を考慮した柔道指導が,国内全ての道場で展開されるよう支援する」とあるが、具体的にはどうなるのだろうか。

もちろんこの点は長期育成指針をもとにこれから具体的に検討して作っていくことであり、今の時点で明確にすることは無理なことであるが、おそらくこのあたりの不明確さが「絵に描いた餅」になるのではないか、という不安を生み出す一因と考えられる。

そこで「絵に描いた餅」にならないためのアクションプランは何か。様々な方法があると思うが、ここでは①大会の運営やルールの工夫、 ②昇級昇段、 ③指導者等への研修、という三つの制度に注目する。なぜなら柔道で組織的な取り組みを行うとき、この三つの制度の影響力が大きいと考えるからである。

①大会の運営やルールの工夫

大会の運営やルールをその対象の人々のニーズや特徴に即した形で工夫することで、その人々の最適な育成を図ることができる。

例えば、小中学生に適用される大会の特別ルール「少年大会特別規定」、知的障がいのある人々の大会で適用される「ID(知的障がい者)柔道審判特別規程」、視覚障害者柔道のルールなどがあるが、このような大会ルールの工夫によって、それぞれの対象の人々のニーズに即して安全に柔道ができるようになった。 また、全日本学生柔道連盟は、大学生が大会に出場するための条件として一定以上の単位を修得することを定めたが、これによって学生は大学の勉強をおろそかにできなくなり、文武両道の教育を図ることができる。

このほか、各地で様々な工夫が行われている。例えば、事前に定めた体重で階級を分けるのではなく、大会の参加者に応じて柔軟にカテゴリーを分けることで減量が不要となる大会があるが(和歌山の紀柔館の腹巻宏一先生はそのための参加者の振り分けやトーナメント表を自動で作るシステムを開発した)、このように大会の運営やルールを工夫することによって、対象となる人々のニーズや特徴に合わせた育成を図ることができる。

6つのステージの人々、そして、それ以外の人々に対しても、それぞれ最適な大会をどのように作っていくか、という点が長期育成指針の実現のキーポイントになるだろう。

②昇級・昇段の制度

どこのクラブに行っても、人々が最善の内容を最善の方法で学ぶことができるようになるためにはどうしたらいいだろうか。

いくつかの方法があると思うが、この点、伝え聞くところによると、フランスやドイツでは統一された昇級昇段制度によってそれを可能としている。

例えば、柔道を始めた子供は9級の昇級審査の合格を目指す。そこでは何ができるようになったら9級に合格するのか明記されている。指導者にとっても子供が9級に合格するために何を教えたらいいかが明確になっている。そして9級に合格するためにどのように教えたらいいかという点も整備されている。そして、9級の次は8級、8級の次は7級と、学ぶ順序も決まっているので、初心者は効率的に学ぶことができる。したがって、どこのクラブに行っても、(理論上は)一定以上のクオリティの教育を受けることができる。

さらに、ドイツでは昇級昇段制度の中に、競技者・形・護身術・体操という4つのコースが用意されており、好きなコースを選べるという。したがって、競技者として大会に出場することが難しくなった中高年でも、「引退」することなく、形や護身術、体操を積極的に学び、柔道を通じて多くの学びを得ているという。

他方、日本の場合は、昇級制度はそれぞれの道場や地域で運用されていたり、運用されていなかったりしてバラバラであり、昇段制度は多くの場合試合の勝敗と連動しているので、競技者ではなく、生涯柔道として関わる一部の中高年等のニーズにはマッチしない。また、競技統括団体が昇級昇段制度も担う他国と異なり、日本の場合、昇級昇段制度は講道館の事業であり、全柔連が単独で対応できるものではない。

以上、昇級昇段制度は、内容と運用次第では、長期育成指針を具体化する手法として大きな可能性を秘めているが、様々な課題がある。これからどうなるか、長期育成指針を具体化する方法として、昇級昇段制度まで議論の俎上にのるのか、スルーされるのか、注目すべき点であるといる。

※参考文献:ドイツについては、書籍『誰一人取り残さない柔道 柔道人口が増える3つの視点』(NPO法人judo3.0  2023年)の「【中高年】柔道を楽しむ大人を増やそうとするドイツの試み」マーヤ・ソリドーワル氏(津田塾大学准教授)、を参照。

③指導者等への研修

長期育成指針を具体化するうえで、選手や愛好者、指導者、その他の関係者の学びの機会の充実は欠かせない。すでに公認指導者資格制度があり、指導者への研修が制度化されているが、これらも含めて、指導者や関係者への研修(そのもとになる指導法の研究)がこれからどのように充実していくかがポイントになる。

6つのカテゴリーに分かれたので、幼児、小学生、中学生、高校生、大学生等、中高年のそれぞれの最適な指導法が研究され、その研究成果を踏まえた、カテゴリーごとに指導法のガイドラインのようなものができる可能性がある。長期育成指針では「柔道指導者養成指針の策定」がうたわれているが、このようなガイドラインができたら、それを関係者へ広く研修していく必要がある。

なお、 長期育成指針では「アントラージュ」という便利なコンセプトが導入された。

「アントラージュ」とは選手など柔道をする人を支援する関係者の総称である。選手は、指導者、保護者、審判、大会運営者、医療スタッフ、トレーナーなど、様々な関係者から様々な支援を受けている。したがって、柔道をする人の育成を最大化するためには、指導者だけでなく、選手を取り巻くすべての人々がよりよい支援をできるように変わっていかなければならない。

長期育成指針では、「柔道を取り巻く課題」として「柔道指導者等のアントラージュへの教育機会の欠如」があげられ、「全柔連が目指す長期育成の方向性」として、「全ての世代への支援ができる柔道指導者等のアントラージュの拡充 」があげられている。 したがって「アントラージュ」の学びの機会をどのように充実させていくのか、が注目ポイントとなる。

参考:「アントラージュ」について

【JOC】アントラージュについて

以上、長期育成指針が「絵にかいた餅」にならないかという不安に対して、①大会の運営やルールの工夫、 ②昇級昇段、 ③指導者等への研修、に注目して、このあたりが実現のキーの一つになるのではないか、という推測を述べた。

最後に

以上、最後に簡単にまとめると、長期育成指針について、以下のような消極的な意見が見られた。

  • 難しい言葉がたくさんあって、分かりにくい。あまり読まれないのではないか。
  • 内容は良いと思うが、これまでのことを考えると、どうせ絵に描いた餅になるのではないか。

そこで、本記事では、以下の通り、長期育成指針の意義や実現のポイントを解説した。

  • ポイント①:画一的な育成から、6つのステージに分けてそれぞれのニーズに即した育成へ
  • ポイント②:共通目標としての「身体リテラシー」
  • ポイント③:三つアクション(大会・昇級昇段・研修)に注目

この指針に賛同して行動する人々が増えたら、柔道環境が画一から多様に変わり、柔道を通じて心身共に健康で幸福な生活を営む人が増える。いま必要なことの一つは指針を読んで、様々な人々とオープンにフラットに話し合うことだろう。本記事はあくまで筆者の推測にすぎず、誤っている点があるかもしれないが、人々の対話の一助になったら幸いである(文責:3.0マガジン編集部 酒井)。

追記

本記事公開後、長期育成指針の執筆者の一人である石井孝法先生から旧ツイッターでコメントをいただいた。この長期育成指針の意義を理解するうえで貴重な指摘であるので、以下引用する。

 

この20年で柔道人口は約20万人から約12万人に減少。20年で8万人が減少しているので、平均すると1年で4000人減、万が一このペースが続くと30年後に日本から柔道が消えてしまう。

柔道に魅力を感じない人が増え続けており、今回はじめて「長期育成指針」という形でその原因と対策が示された。

これに対して、「これまでのことを考えると,どうせ絵に描いた餅になるのではないか」と思ってしまうことについて、「柔道実践者すべてが当事者であるのに当事者意識がない」という指摘は耳が痛い。

実現するか否かは「みなさんの協力(本気で変えようという気概)次第」。改めて長期育成指針を読んで、何ができるかを考えていきたいと思う。

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