月間200名以上の幼児に指導!訪問型柔道教室「じごろうキッズ」を知ると柔道の未来が広がる!
1. はじめに
島根県益田市に15もの保育園・幼稚園に出張して柔道指導を行う「よしじいとしゅうばあいのじごろうキッズ」、通称「じごろうキッズ」がある。日本で月間200名以上の生徒に柔道指導をする指導者は滅多にないと思うが、2015年から、益田市在住の柔道指導者、矢冨よしかず氏と矢冨修子氏が始めた取り組みである。
1つの保育園・幼稚園につき、毎月1回訪問、1回あたり約1時間のプログラムで、1年12回を一つの区切りとしたカリキュラムとなっており、多くの保育園・幼稚園では、年中の幼児を対象として行われている。1クラス15名~25名程度であることが多く、15もの保育園・幼稚園に月1回指導してることから、毎月200~300名もの幼児に柔道を教えている。
柔道の登録人口が減少を続けるなど明るいニュースが少ない日本の柔道であるが、幼児を対象としていたり、出張して柔道を指導していたり、月200名以上という大人数を指導したりなど、じごろうキッズの革新性は煌めいている。ここには柔道の普及のヒントがあると思われるので、以下、ポイントを見ていきたい。
2. 幼稚園に出張指導ができる理由
「幼稚園等へ出張して柔道したらいいのではない」というアイデアは珍しいものではなく、柔道の普及を検討するときに話題に上がることは多々あるだろう。しかし実施している、という話はほとんど耳にしない。
実際に近所の幼稚園や保育園に行って柔道指導をしたいと言ってみたら分かると思うが、やんわりと断られる、というのがほとんどではないだろうか。幼稚園は幼児教育を行う場であって、柔道普及をする場ではない。
それでは、なぜじごろうキッズは、市内の半分以上もの幼稚園に出張して柔道指導ができるのだろうか。言い換えると、幼稚園は何を必要としており、じごろうキッズはどうやってそのニーズに対応することができたのだろうか、。
きっかけは、知り合いの幼稚園の保育士さんが矢冨修子氏に話した何気ない一言だったという。
「最近の子どもは転んでも手が出ない。顔面から突っ込んでいく」
話を聞いてみると、前に転んで顔をぶつけてケガする幼児もいれば、後ろに倒れて尻もちをついたとき不自然に手を出して腕を骨折する幼児もいるという。 そこで、修子氏は、柔道の受け身の習得が幼児のケガの予防につながるのではないかと考え、保育園に提案、「試しに」と取り入れた幼稚園でのプログラムが評判よく、口コミで広がっていった。その後、他の幼稚園の保護者が「うちの幼稚園ではやらないのか」となって、15もの幼稚園・保育園に広がっていったという。
近年、転んだときに手が出ず、顔をケガする子どもが増えていることがニュースで報じらているが、その背景にあるのは幼児期の運動不足にあるという。
東京都が30年前から続けている5歳児の運動能力調査によると、両腕で体を支えて何秒間足を浮かせていられるかという調査で、20年前は平均80秒だったのが、いまは平均40秒と半分になっている。
じごろうキッズは、「幼児がよくケガをする」という幼稚園・保育園の悩みをキャッチして、その課題に解決するプログラムを提案、その効果が認められて多くの幼稚園・保育園に受け入れられるようになった。
3. プログラムの特長
それでは、じごろうキッズはどのようなプログラムを提供しているのだろうか。その特徴は以下の2点にある。
第一に、幼児が熱中する受け身プログラムを開発した点である。
1回50分程度のプログラムの中で、40分近くも受け身をするのだが、一般的な柔道クラブで小学生でも大人でも40分も受け身をすることになったらげんなりするのではないだろうか。 ところが集中できる時間が極端に短い4歳、5歳の幼児が受け身に夢中になり、楽しいがゆえに「あっ」という間に終わる。
その秘密がどこにあるのかというと、受け身のメニューの面白さと独自の「言葉」にある。
ある指導者が指示したことを幼児がイキイキと取り組む一方、別の指導者が指示したことが全く伝わらないということがよくある(幼児は遠慮がないので指導者のスキルの差が如実に現れる)。
極端に言うと、幼児は言語や文化の異なる外国人をイメージしたほうが分かりやすく、大人が使う日本語が通じない。つまり、例えば「前回り受け身」という言葉が通じないとき、指導者はどうしたらいいのだろうか。この点、じごろうキッズは幼児に通じる言葉を独自に開発しているのである。
第二に、幼児が礼法を学ぶ独自のプログラムを作った点である。
柔道が礼法を大切にしていることは柔道関係者にとっては周知の事実だが、幼稚園・保育園の幼児教育の中で柔道の礼法が評価されていることは意外ではないだろうか。
近年、礼儀正しさの効果が科学的に研究され、無礼な振る舞いが会社の生産性に与える影響などが測定できるようになり、その意義が見直されてきている(クリスティーン・ポラス 『Think CIVILITY 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』東洋経済新報社2019/06/28)。
それでは、じごろうキッズの礼法の指導法にはどのような特長があるのだろうか。
一般的には「礼法は大事だよ」ということを伝え、姿勢がまっすぐか、大きい声を出しているか、足の位置は正しいか、体を曲げる角度は適切かなどなどカタチに注目することが多いのではないだろうか。 いま意味が分からなくてもまずは身体で覚えよう、という教育は珍しくない。
しかし、矢冨修子先生は幼児に以下のように問いかける。
「挨拶するとき、なぜ頭を下げるのですか?」
「アメリカの人は、なぜ挨拶するとき、握手するのですか?」
「なぜ先に左足から踏み出すのか?」
じごろうキッズは、指導者が寸劇等をしながら、自分が相手に示す動きがどのような意味を伝統的に持っているのか、伝える点に特徴がある。
例えば、頭を下げるのは、自分の首を相手に差し出すことを通じて、相手に敵意がないこと、そして相手を信頼していることを示しているのであり、握手をするのは、手にナイフなどの武器を持っておらず相手に敵意がないことを表している。
もちろんそれぞれの動作の由来や意味は諸説あるが、ポイントは、幼児が自分が行う動作が何を表しているか、なぜその動作がそのような意味を持つか、知っている点である。
幼児が自分の動作の意味を理解して、礼を通じて相手への敬意や信頼を示す様子は感動的ですらある。
4. 柔道の可能性
以上、幼稚園等のニーズを的確に捉え、その課題解決に資するプログラムを開発するじごろうキッズの特長をみたが、矢冨修子氏はもともと学校の教員で陸上部の指導を専門としており、柔道はわが子が柔道を始めたことをきっかけとして大人になってから柔道を学び始め、じごろうキッズは学校を定年退職した後に始めたものだという。
じごろうキッズは2021年をもっていったん休止するが、矢冨修子氏は「柔道の指導者であれば自分たちと同じようなことは誰でもできる。特に退職して家にいる人々にやってほしい」と語る。じごろうキッズは、高齢化と少子化が進む社会の中で、高齢者と幼児のウインウインの関係の築き方を私たちに教えてくれているのではないだろうか(3.0マガジン編集部)。