ガンから生還して見出した柔道の魅力~マスターズ柔道大会参戦私記~

 こんにちは、編集部の小崎亮輔です。この記事のご覧の皆さまは、出場資格が「30歳以上であること」と「初段以上であること」である、日本マスターズ柔道大会(日本ベテランズ国際柔道大会)のことをご存知でしょうか?参加資格が五段以上である全国高段者大会と比べると、より愛好志向の柔道家にも門戸が広く開かれた中高齢柔道家向け全国大会であることが伺えます。この大会は2004年に第一回大会が開かれ、今年で14回目である大会が6月に和歌山県の南紀白浜町で開催されました。参加者は年々増えており、今年度は608人の柔道家が出場されました。私自身、日本マスターズ大会には学術調査で昨年度から参加させていただいていますが、この大会は柔道が大好きな人たちによるお祭りのような、とても明るく楽しい雰囲気で開催されています。とても素敵で、素晴らしい大会だと感じています。

 そこで今回は、このマスターズ大会に2年連続2度目の参加をされた中村正人さんにお話をいただこうと思います。中村さんは現在70歳、50年のブランクを経て67歳で柔道を再開したそうです。また中村さんは北海道稚内市にお住まいです。ご周知の通り、稚内市は日本最北端の市でもあります。今回はそのような状況と環境でも、柔道に没頭される理由やこれまでの経緯のお話をいただこうと思います。

日本マスターズ柔道大会の様子

マスターズ柔道大会参戦私記

中村正人

2017年6月17・18日、日本ベテランズ国際柔道大会(第14回日本マスターズ柔道大会)が和歌山県白浜町でに開催されました。私は昨年の東京大会に続いて二回目の参加です。二日間の大会の様子と会場や参加者の雰囲気などを、私の興味と関心、独断の視点でお伝えします。さらになぜ私が参加するようになったのかを記し、こんな「柔道愛好家」もいるということを知っていただければ、少しは柔道の普及のお役に立てるのではないかと思っております。

マスターズ:柔道に魅せられた人たちによる祭典

 今大会は開催要項によると、東京開催以外では過去最高の608名の参加があり、そのうち65~69歳(個人戦)42名、70~74歳34名、75~79歳23名、80~84歳8名、85歳以上3名と、高齢者が全参加者の18%を超えていました。私が柔道を再開したのは50年ぶりの67歳からだったこともあり、いきおい同年代の方の試合に目が行きます。

 第一日目は、形競技から始まりました。比較的若い方が多い「投の形」、若い方から高齢の方までの「固の形」「講道館護身術」、高齢・高段者の「古式の形」他。それぞれ「動」と「静」が織りなす奥深さを、キビキビと、ゆったりと、どっしりと、かつ風格を漂わせて表現する高齢の方々に心から拍手を送りました。中には畳を降りると杖を持つ方が少なからずいらっしゃいましたが、ゆくゆくはあのように在りたいものだと胸に刻みました。

 昨年の大会で、初めて形競技を観戦し興味を覚え、戻ってから若い柔道家と「固の形」の練習を始め、11月には、地元の少年の大会で披露できました。さらにその後は「古式の形」に取り組むべく、札幌で今春行われた講習会に参加しています。ですから観戦していても少しは理解できるところがあり、とても参考になりました。

 午後からは男子31チーム、女子4チームの団体戦。私のチームは昨年に引き続き、あえなく初戦敗退となりましたが、稚内出身、千葉県在住の次鋒が唯一勝つことができました。各年代の強豪をそろえている団体戦ですから、迫力満点。札幌の仲間の準優勝は、とても嬉しいものでした。

 第二日目は朝から個人戦。私がエントリーしているM9(70~74)66㎏以下級は6名。幸いにシードで初戦が準決勝。昨年の覇者と対戦し、先に技有をとるもその後逆転の一本負け。「勝ちパターン」のイメージゼロで戦ったものですから、倒した瞬間「勝った」と思ったのが致命傷でした。もちろん弱いから負けたのですが。それでも同年代の方との試合が昨年から数えて4戦目で、初めてとれた「技有」。私にとっては金メダルでした。

 和歌山に向かう少し前にjudo3.0のFacebook仲間、Yさんとお友達になり、会場でお会いする約束をしました。首尾よく短い時間でしたがお話ができて、旧知の友人に会ったような不思議な感覚なりました。また昨年9月のjudo3.0のフォーラムお会いしたHさん、Oさん、Aさんともお話ができました。

 全試合を観戦して、この大会に参加している方々は、心から柔道を愛し、魅せられている人たちなのだと実感しています。誰からも強制や選別されることなく、自らの意思とお金と時間とで参加をされていることでしょう。勝ち負けはともかく、今年も参加できて本当に幸せだと思えました。

胃がんの発病「5年は難しい」

次に私が50年のブランクを経て67歳から柔道を再開し、この大会に参加し始めた理由を記します。

私の柔道歴は国立旭川高専が開校した昭和37年、上級生も指導者もいない同級生だけの新設柔道部が始まりですが、わずか2年間でした。その当時は高体連の大会にも出られず、函館高専との交歓試合が2回と昇段審査6試合のみ。3年生の秋以降柔道から離れました。

稚内の養護学校で教員をしていた30代半ばに、少年団指導を4年ほど手掛けます。当時は、時折手伝いに来てくれた高校生と乱取りをするくらいでしたが、頸椎の病を機に少年団から離れて解散、以後まったく頭の中から柔道のことは消えました。

45歳になり20年間務めた教員を辞め、卒業生を受け入れる障がい者施設を立ち上げて転職し、順風満帆の人生かに見えましたが好事魔多し。56歳で胃がんを発症、悪性度が高かったため全摘出ののち、長期の抗がん剤治療も体験しました。

「5年は難しい」と医者に言われていましたし、自分でもそう思っていたので、「闘う」というよりも「医者から言われたことだけはしっかりやる」けど「残りの人生を楽しむ」と決めて退職し、ゴルフを始めたり、家の周りでの野菜づくりと料理などで、難しい食事管理を逆に楽しむ生活に変えました。

50年のブランクを経て柔道を再開!!

がんからの生還と柔道との再会

 5年過ぎたあたりから「助かりそうだ」という実感とともに、徐々に「社会復帰」が進んだある日、孫の剣道の大会観戦・応援に行きました。防犯柔剣道大会でしたので、気になって目をやると、かつて市内4団体で競い合っていたころとは打って変わって、少人数の寂しいものでした。そこに、昔教えていたころの強豪少年団に属していた三上雅人さんの姿があり、一挙にその時代に後戻り。そこで孫を剣道から柔道へ進路変更の誘導し、私が孫を連れて道場通いを始めたのです。

 少ない子どもと少ない指導者。仕事を持ちながらの少年団指導は、時間通り指導者が揃うとは限りません。そこで自ら、私を指導スタッフ兼留守番係に加えていただくようお願いしました。幸い覚えていて下さった方々もいて、すんなりと加わることができました。三上さんの少年団指導の基本は、「みんな仲良く、楽しく、好きで長く」でした。特に「好き」「長く」に惹かれました。70歳に近い年齢でも受け入れてくれたのは、この「基本理念」があったからでしょうか。

以来、徐々に身体が慣れ、不思議と昔々の身体に刻み込まれた記憶がよみがえり、小学生、中学生、高校生と順に組み合うことが増えていきました。子どもたちと技の研究、指導者との指導法の研究、知的好奇心が尽きない今日この頃です。

 おととし、がんからの生還を自分でお祝いするイベントを考えはじめ、古稀を機に「マスターズ柔道大会出場」することを決意します。そのきっかけを作ってくれたのが、三上さんのお友達Sさん。「出たいと思った時に出るほうがよい。」と体力と技量のチェックをして下さいました。その結果が昨年の大会への初出場でした。

若いころにほんの少しかじっただけだからこそ、怪我もトラウマもプライドもなく、単純に高齢になってからが柔道を楽しみたい、それに子どもたちも、気を使ってくれる大人も上手に付き合ってくれるのが今の私の柔道生活の環境です。少年団では18時から21時までの稽古に参加し、ときには遠征にも同行します。また教員経験があるため、この3年間は市内中学校の柔道授業のほぼ半数を担当させてもらっています。

文字通り柔道が高齢者になっても楽しむことができる、生涯(私は中抜けですが)スポーツである、ということをマスターズの大会と私の生活とで強く実感しております。

去る11月5日に開催された、第56回稚内市防犯少年柔剣道大会では「古式の形」を披露させていただきました。

「楽しむことが最良」の生涯スポーツをめざして

ガンとの向かい合い方

今日「癌」という病に直面する方々は高齢社会の到来とともに急増していますので、がんとの向き合い方も、「戦う」「共存する」「あきらめる」「仲良くする」など種類や進行度、家族や職場の環境等で様々でしょう。

私は幸いにして、幼少期から、学園紛争真っただ中の学生時代、組合活動と民間教育研究団体に属して運動と研究に奔走した教員時代、障がい者運動に参加して知った福祉の世界に自分の夢と希望を託して設立した障がい者施設勤務時代と、常に全力で走ってきた充実感いっぱいの人生を送ってきました。

家族にも充分すぎるほど恵まれていました。早すぎる退職も妻の力強くも賢明な後押し(妻は、「合法的に退職できる。がん保険もたっぷりおりた。あとはあなたの身体で得たお金と命の続く限り好きにのんびり過ごせば?私はあなたが死んでから涙を流すから。」と。こんな最強のメッセージをこの期に及んで発する女性が妻で良かった!恵まれた!)があったればこその決断。ですから「残念ではあるけど止む無しと受け止め、残された命を楽しむ」と割り切りることができたのです。ですから喪失感、孤立感、被排除感を感じることもなく、家族と真に親しい友人との人間関係だけが残るシンプルかつピュアな生活が得られたと感じました。

術後5年間は、「これが最後かも」と思いつつ旅行と病気になった年に始めたゴルフをも頻繁に楽しみ、抗がん剤治療中も医者と相談しながら海外のゴルフ場でもプレイしました(おかげで闘病中のリハビリゴルフが功を奏したのか10年目の66歳でシングル入り!)。

ゴルフになくて柔道にあったもの

5年過ぎたあたりから、体調も徐々に整い、地元の大学から声をかけられ大学教員も経験させてもらいました。もともと教員でしたし、退職から現在まで高校の専攻科看護科の非常勤講師もしていますから、好きな仕事の分野ではあったのですが、命拾いをした身にとっては、むらむらと肉体的側面の復活も確認したい、という気持ちがありました。その一つがゴルフだったのですが、シングル入りしたことで燃え尽きたのでしょうか、たまたま観戦した柔道大会がきっかけで再開することになったのは前述したとおりです。

徐々に老いていくのではなく、骨と皮の肉体から徐々に回復し、老いに逆らうように回復する自分が嬉しかったのかもしれません。またかつてのように子どもたちとの触れ合いを求めていたのかもしれません。ゴルフ仲間にはない多様な年齢の方々との出会いも求めていたのだと思います。柔道コミュニティにはそれがありました(残念ながら高齢者は希少価値なのですが)。

多様な年齢、職業、価値観、柔道観。まだまだ「強いことが偉い」かのような価値観がはびこってはいますが、「楽しむことが最良」の生涯スポーツをめざしてひとりの高齢柔道愛好者の生き様を皆さんに見ていただければと思っております。生きていればこそなのですが、さまざまなことを学ばせてもらった「癌」に、今は感謝しております。再会は遠慮しますがね。

プロフィール
中村 正人

1947年3月2日生。70歳。北海道教育大札幌分校卒業後、小学校と養護学校に20年勤務。社会福祉法人を設立し、退職して役員・管理職就任。知的障がい者と精神障がい者の施設を運営。56歳でガン発症により退職。現在は、児童発達支援施設の運営団体代表、稚内高校専攻科看護科非常勤講師、人権擁護委員。講道館柔道参段。全柔連公認指導者資格C指導員。

稚内南部柔道スポーツ少年団(てっぺん柔道)指導員

「てっぺん柔道」は、柔道の魅力を再発見するBSフジのドキュメンタリー番組『JUDO』の第一回放送で特集されております。

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