嘉納治五郎の柔道と教育4 将来臍を噛んでも取返しのつかぬようなことに立至る。

精力善用・自他共栄

嘉納はいう。

自分は今までに随分いろいろの書物を読んだが、どうしても人生の真義が明確に分からなかった。そこで一時学問は全く棚に上げてしまって、実社会の研究に没頭した。

そして終に社会百般のことは、皆社会生活存続発展の原理という、幾何学的な公理に相当するものに依ることを発見した。数学のような学問はまず明瞭だが、その他の学問はどうも理論が徹底しなかった。

そこで苦心惨憺の結果、この原理を発見した。この原理は天下の大道である。従って永久不変の真理である。さてその原理の活用は自他共栄である。

(略)

而して自他共栄のためには、身心を有効に活動させなければならない。また精力の善用利用を計らねばならない。自分はこの原理を大正11年より説きはじめた(加藤仁平・嘉納治五郎210頁)

大正11年、数え年63歳のとき、嘉納は「道」を発見した。それが、柔道関係者であれば一度は耳にしたことがある「精力善用」「自他共栄」である。

嘉納は、大正11年、講道館文化会を設立し、雑誌の発行や講演などを多数こなし、この「道」の普及を図る。なお、これは本来、講道館で行うべきことであったが、講道館は財団法人であり、財政上の理由から講道館文化会を設立した。その講道館文化会が示した方針は次のとおりである。

□宣言

本会は精力最善活用に依って人生各般の目的を達成せんことを主義とす

本会はこの主義に基づいて、

  1.  各個人に対しては身体を強健にし智徳を練磨し社会に於いて有力なる要素たらしめんことを期す
  2.  国家に就いては国体を尊び歴史を重んじその隆昌を図らんが為常に必要なる改善を怠らざらむことを期す
  3.  社会に在っては個人団体各互に相助け相譲り徹底せる融和を実現せしめんことを期す
  4.  世界全般に亙っては人種的偏見を去り文化の向上均霑に努め人類の共栄を図らんことを期す

□綱領

  1.  精力の最善活用は自己完成の要訣なり
  2.  自己完成は他の完成を助くることに依って成就す
  3.  自他完成は人類共栄の基なり

これが「精力善用」「自他共栄」の内容であるが、嘉納は、これを中学生向けの「柔道教本」において、非常に分かりやすく説明していることから、以下そちらを引用する。

第一 序説

およそ人としてこの世に生れてきたからには、最も値打のある生活をしなければならぬ。値打のある生活とはどういうことかというに、個人としては、最も大いなる幸福を得ることであり、家庭または社会の人としては、家の内にいても、世間に出ても、両親はもとより、すべての人々に満足されることである。そうして国民としては、国家の元首たる天皇陛下を始め奉り、国民一般から、国のためになる人と認められ、広く世界の人々からも、人類の一員としてその本分を尽す人と思われるような行いをすることである。

浅はかな人は、自己の幸福を得ようと思えば、人のためや国のために尽くすことが出来ないように考え、自国にために尽くそうと思えば、他国の不利を図らなければならぬように考えるかもしれぬ。が、真に自己の幸福を得ようと思えば、人のためにも国のためにもなる仕方でなければならぬ。そうして遠い将来のことを考えるとき、本当に自国のためを図ろうと思えば、他国の人の幸福を妨げる仕方では、その目的は達せられぬのである。

そうしてみると、人間の本当の生活は、他人にも社会にも国家にも国外の人々にも、妨げをしないで自己の発達を図り、また自己の発達を図りながら、自分以外の人々に出来るだけ多くの利益を与えようとしなければならぬのである。それが人間の生活していくべき道である。そういうと人は、それならどうすれば、それらのことが衝突せず、どこから見ても都合のよい生活の仕方が出来るであろうかと問うであろう。私はそれは柔道という道を徹底的に修行すればよいと答える。

第二 柔道とはどういうものか

どんなことでも人間のすることで、精神と身体を動かさないで出来るものはない。本を風呂敷に包むのでも文を作るのでもそうである。最も上手に本を包み文を作ろうと思えば、その目的に適うように精神と身体を最も巧みに動かさなければならない。これを心身の最有効使用法とも使用道ともいい、何事をするにも成功の一貫した大道である。この道を柔道と称するのである。攻撃・防禦を目的としてこの道を応用することを武術といい、身体を強健にし、実生活に役立たせるようにこの道を応用することを体育という。また智を磨き徳を養うためにこの道を応用すると、智徳の修養となり、社会における万般のことに応用すると、社会生活の方法となる。

こういうふうに、一度柔道の根本原理を明らかにすることができれば、どんなことでもそれから割出して判断のできぬことはない。たとえば自分の身を処する仕方でも、他人に対し、自国に対し、また他国に対して、どうしてよいかというような時々刻々に起こってくる問題でも、この原理に基づいて解決することが出来るのである。正しい方法で柔道を学んでいれば、おのずとそういう力が養われてくるはずである(嘉納・体系第3巻295~297頁)。

上記に「嘉納がどのような人間をつくろうとしていたか。」という問いの答えがちりばめられているが、詳細は次回以降みていくこととしたい。端的に(抽象的に)いえば、嘉納は「精力」を「善用」し「自他」の「共栄」を図る人間を育成しようとしたのである。

以下では、嘉納がこの「精力善用」「自他共栄」を世に唱えた経緯をみていく。ポイントは、第一に、嘉納がこのコンセプトを作り上げるのに少なくとも40年近く費やしたこと、第二に、このコンセプトを世に提示しなければならない切実な理由があったことである。

40年の歳月

講道館を設立したのは、数え年23歳(明治15年)のとき、講道館文化会を設立したのは数え年63歳のときであることから、「精力善用」「自他共栄」は、講道館設立から40年という年月を経て生まれたことになる。

「自分は今までに随分いろいろの書物を読んだが、どうしても人生の真義が明確に分からなかった。そこで一時学問は全く棚に上げてしまって、実社会の研究に没頭した。」というように、嘉納は、いろいろと書物を読んで「学問」を行い、次に「実社会の研究に没頭」し、終に「発見」したのであるが、「学問」をした時代とは、おそらく、東京大学で学生として勉強したとき、そして学習院に勤務していた頃と思われる。

学習院時代

嘉納は、東京大学で政治学や経済学、倫理学などを研究し、一年間延長して倫理学を研究して卒業、23歳から30歳まで学習院にて教師(後に教頭)として勤務したが、この学習院時代、嘉納は、柔道を創り普及させながらも、学問上の研究をしていたのである。

嘉納は政治学、経済学、倫理学などの教師として教壇に立っていたのであり、当時の東京大学学長の加藤弘之は、嘉納が倫理学に関心があることを知り、その研究のために海外留学をしないかと誘っており、また、嘉納が29歳のとき、哲学館(後の東洋大学)で行った倫理学の講義が残されている(嘉納治五郎 | 近代日本人の肖像)。

嘉納は、この学習院時代、勝海舟(勝海舟 – Wikipedia)に相談している。

嘉納:「暫く学問に没頭しようか。」

勝海舟:「学者になろうとするのか。それとも社会で事をなそうとするのか。」

嘉納治五郎:「後者です。その必要な学問に集注しようと思います。」

勝海舟:「それはいけない。それでは学者になってしまう。事をなしつつ学問をなすべきだ。

嘉納は、この勝海舟の言葉に従い「実地について実際の事柄から物を考え、必要に応じて本を読んだ。」。そして「これが、自分の行った上に最も効果があった。」という(加藤仁平・嘉納治五郎82頁)。

30代以降

嘉納は、30歳のとき、1年半弱、欧州の教育事情などを視察し、その後、第五高等中学校長、第一高等中学校長を経て、高等師範学校長となり、以後普通教育に力を尽くすが、「実社会の研究に没頭した」というのは、おそらく非常に多忙となったこの頃以降のことをさすのではないだろうか。

嘉納は、「精力善用自他共栄」を唱えた63歳までの間、柔道の普及と高等師範学校長の職務のほか、30代後半から40代は、弘文学院などを経営して清国からの留学生合計8000人を教育、50代以降は、国際オリンピック委員として、日本にオリンピックをもたらすべく奔走する。壮大な「実社会の研究」である。

この20代の学問の研究と30代以降の「実社会の研究」が実り、40年間の探求を経て生まれてきたものが「精力善用」「自他共栄」であった、という点を第一に指摘しておきたい。

嘉納が見通した未来

第二は、嘉納が63歳のとき、「自他共栄」「精力善用」を世に唱えたその理由についてである。ようやく研究がまとまったから、また、高等師範学校長の職を辞して自由に発言ができるようになったから、ということもあるが、嘉納には切実な理由があった。

嘉納は、高等師範学校長を辞任後、第一次大戦後の欧米を視察したが、その結果、今何かしなければ、「将来臍を噛んでも取返しのつかぬようなことに立至る」という認識を持つ。

大正九年の一月に官職を退いた次第は全号の会報で明らかであると思うが、その後数カ月にして欧米に遊んで、大戦後における思想界や、経済界の実情を観察し、各種の人と意見を交換して、今後我が国の採るべき方針を決定する上に必要なる参考の資料を得ることに努めた。

大正10年の2月に帰朝して、年末まで静かに考慮した結果、我が国の現状は、自然の成行に任せておくことは許さぬ、心をあるものはだれも、おのおの自己が是と信ずる手段を尽くして社会を善導し、国家のために尽くさなければ、将来臍を噛んでも取返しのつかぬようなことに立至るも計られぬと信ずるに至った(嘉納・体系5巻112~112頁)

具体的にはどのようなことか。講道館文化会の設立趣旨には次のようにある。

輓近世界の大勢を察するに、国際関係は日に錯綜を加へ、国々互に融和提携しなければ独立を維持することが困難になって来た。従って、吾人は、今日の状態に満足せず進んで広く世界に友邦を得ることに努めなければ、国家の隆昌を期することが出来ぬ。

顧みて今日の国情はといへば、国民に遠大の理想なく、思想は混乱し、上下奢侈に流れ、遊惰に耽り、地主は小作人と反目し、資本主は労働者と衝突し、社会至る処に名利権力の争いを見るのではないか。一刻も速にこの境涯より我が国を救い、世界の大勢に順応することの必要なるのは識者の均しく感を同じうする所である。

この時に臨んで我が同志は、多年講道館柔道の研究によって体得した精力最善活用の原理を応用して世に貢献せんと決心し、新に講道館文化会を設くることにした。大正11年 講道館文化会会長 嘉納治五郎

敷衍するに「国々互に融和提携しなければ独立を維持することが困難になって来た。」とは次のような意味だろう。

昔は、他国を害しても自国を利しよう、自国の力を充実して機会さえあれば他国を侵そうというような態度をもって国々が相対していたのであるが、今後はだんだんそういうことは許されなくなった。もし、ある一国がそういう態度をもって他国に臨むならば世界の諸国は結束してそういう国を亡ぼしてしまうであろう(嘉納・著作集第1巻129頁)。

嘉納の慧眼にはただただ驚くしかない。

歴史をみれば、その後の日本は、「国々互に融和提携しなければ独立を維持することが困難」であり「進んで広く世界に友邦を得ることに努めなければ国家の隆昌を期することが出来ぬ。」にもかかわらず、内政の混乱、そして国際連盟の脱退に象徴されるような経過を辿り、広島長崎への原子爆弾の投下、敗戦など、まさに「将来臍を噛んでも取返しのつかぬようなことに立ち至る」のである。

この大正10年(1921年)の時点で、このような認識を持った人が当時どれほどいたのだろうか。そして、嘉納は、認識だけではなく、救う手段ももっていた。それが40年の研究の末に生まれた「精力善用」「自他共栄」というコンセプトだったのである。

嘉納は、「精力善用」「自他共栄」をもって、日本と世界をその窮状から救おうとした。このことを第二に指摘しておきたい。嘉納は「柔道を創った人」であり「教育者」であり、そして「日本と世界を救おうとした人」なのである。

※本記事は、2010年8月から酒井重義(judo3.0)によってブログで連載された研究論考「勇者出処~嘉納治五郎の柔道と教育」の再掲です。

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