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嘉納治五郎の柔道と教育13 道徳は独立の課目としては教えない。

嘉納は、何故、道徳的人間を育成する方法として体育を選んだのか。第13回は、この嘉納の方法論を三つの点からみていく。

先に結論を言うと、第一は、体育は生徒と教師の相互コミュニケーションの機会が多いということ、第二に、徳育としての体育は英国で既に確立し、その考えはオリンピックに至るものであり、有効性が認められていること、第三は、嘉納は、徳育としての体育の効果を実体験したと思われることである。

相互のコミュニケーションの機会

嘉納は、体育が徳育として効果的である理由について、次のようにいう。

道徳教育は、単に講釈や訓戒だけでは存外力のないものである。実際の行いに結び付けて話もし、注意警告もしてこそ効能が現れやすいのである。

しかるに教育者は、概して生徒と起居を共にしているものではない。普通の教場においては、教員は時間時間に当嵌められてある各種学科の教授に忙殺されていて、教室においては一般的に教訓する機会が少ないが、運動場においてまたは道場においては、個人として生徒に接触する機会が比較的多い。そういう場合に、あらゆる手段を尽して道徳教育を施せば、存外効果のあるものである。

かく道徳教育が体育から裨益を受けるように、体育も道徳教育から力を得ることも少なくない。体育を単純なる体育として課す時は権威が少ないが、大なる道と結び付け、精神教育と関連して施す時は、一段深い意義を感ずるようになって、体育そのものを重んずるようになる。

英国においても、その他の諸国においても、体育を道徳的訓練と結び附けて、運動場において訓育をすることに留意している>のは、全く以上述べたところの理由によって、体育として道徳教育の応援をせしめ、道徳教育をして体育を援助せしめようとしているのである。

我が国においても、私が高等師範学校に在職中、文科兼修体操専修科を設け、その後体育科を置き、技術的学科目と併立せしめて、生理・衛生・解剖等の学科目を課し、同時に心理・道徳・教育等の諸科目を加えたのも、同一の理由に依るのである(著作集3巻312頁)

ここでの嘉納の話のポイントは、生徒の実際の行いに結び付けて相互にミュニケーションをする機会の大小にある。

この視点からみると、一方的に教師が講釈をしても道徳教育として効果が薄いということになる。

昨今、道徳教育が大切である旨様々主張されており、その方法として体育を用いる見解がどれほどあるか分からないが、体育が教師と生徒のコミュニケーションの機会を作り、その人間的な接触を通じて道徳教育が効果を発揮する、という視点は意外に盲点なのではないだろうか。

文部科学省は、スポーツを軸とした地域のコミュニティを創るため「地域総合型地域スポーツクラブ育成モデル事業」を行っているが(404error:文部科学省)、

これからの教育と柔道を考えるうえで、体育・スポーツは、世代などあらゆる違いを超えて相互にコミュニケーションをする機会を作り出し、コミュニティを形成し、その絆が道徳教育として効果を持つという視点は非常に重要なポイントとなる。

英国パブリックスクール

さて、嘉納は、「体育を道徳的訓練と結び附けて、運動場において訓育をすることに留意している」国として英国を例にあげているが、この英国のパブリックスクールこそが、道徳的人間を育成する方法として体育(チームスポーツ)を活用する、という手法を確立した学校である。

嘉納は、第一次大戦後、欧米各国を訪問した際、英国パブリックスクールを視察し、バリオル・コレージの校長スミス氏から次のような話を聞いている。

ドイツは善く組織された国であったが、われらの有する精神を有しなかった。わが国の教育は、かの国のと較べてみると、智力的訓練において及ばざることが遠い。オックスフォードやわが中等学校において、学生はドイツの如く学業に熱心でない。しかし、われらは、運動場において精神教育を為し、団体のために個人を犠牲にする精神を養い、またわれらは紳士としての行儀作法を教える。

(中略)

戦争の始った頃、学校に二百人の学生がいたが、いざ戦争と聞いて、彼らは誰にも勧められず、また互いに何ら話し合った模様も見えなかったが、二百人のうち百六十人までが各自の家に戻ってしまった(自身に進んで戦争に出ようとして。)。あとに残った四十人のうち十四人はまた出て行って二十六人しか残らなくなった。彼らは皆よく戦って三週間にわたってドイツ人を喰い止めた。これはドイツ人が予想しなかったところである。これは皆この運動場で養われた精神教育の賜である。英国では、道徳は独立の課目としては教えない。しかし、道徳教育は気付かぬうちに若い者の心に浸潤するようにするのである。だから、口では道徳というようなことはあまりいわないのである(嘉納・著作集3巻337頁)

この運動場において精神教育を行う方法の確立には、1828年にラグビー校の校長となったトマス・アーノルドが大きく寄与したとされているが、この時期以降、パブリックスクールは、大英帝国の指導者の徳性を養う方法として体育、特にチームスポーツが最も優れた方法であるという認識を持つようになる。

このパブリックスクールで学んだ池田潔氏は、著書『自由と規律』(岩波新書)において、次のようにいう。

国民一般が心から熱狂するのは何といってもフットボール、クリケット、ホッケー等の団体競技である。ことに学校にあってはこれ等の協議が青少年達のため、一定の目的に対し心身を集中する訓練の手段としてきわめて重要な役割を占めている。これによって彼等は、共同体にあって、全体の利益のため自我を没し、勝って驕らず負けて悪びれず、敵を重んじ、荀も不当の事情によって得た有利な立場に拠って勝敗を争うことを潔しとしない、いわゆる「スポーツマンシップ」を修得するものとされている。(148頁)。

池田氏の次のようなエピソードは、徳育としての体育を端的に表しているだろう。

リースのラグビー校の試合の後で、もっともよく働いたものがプリーフェクト達のお茶に招ばれる習慣がある。スリークォーターが定位置であったが、ある試合に運が恵まれ球がよく渡されて、味方の得点を全部一人で稼いだことがあった。その時はお茶に招かれなかった。その後、別の試合で最初に二度つづけて防御を誤り、その失策が祟って味方が敗れたことがあった。何とか償いをつけたいと思って頑張ったのであるが、遂に空しく最後の笛がなった。そしてその時はお茶に招ばれたのである。」(『自由と規律』150頁)

オリンピックへ

嘉納が徳育としての体育として柔術に大きな可能性があるとして、講道館を設立し柔術を再構築していていたのは1882年であるが、この翌年(1883年)、もう一人の男が徳育としての体育に開眼した(と思われる)。

1883年、ピエール・ド・クーベルタンは、この英国パブリックスクールを訪問し、道徳的人間の育成方法としてスポーツに大きな効果があることを発見し、また大英帝国の力の源泉がこのパブリックスクールのスポーツを活用した教育システムにあると確信する(Pierre de Coubertin – Wikipedia)。

クーベルタンの著作については、ありがたいことに教育学者である清水重勇氏が翻訳してサイトに公開いただいているが(no title)、そのクーベルタンは、1899年、イギリスの教育について講演している(1889「イギリスの教育」)。この講演を適当に一部抜粋して以下引用する。

さて皆さん、ここでやっとイギリス教育の最も注目すべきと思われる点に辿り着きました。わたしはスポーツがそこで果たしている役割についてお話ししたいのです。この役割は身体的であると同時に、道徳的・社会的なものです。 そして、ここでその役割を考える二つの理由があります。何しろ私は、わが国の教育制度に何がしかの改革を期待できるにしても、唯一スポーツを通してのみ改革は導入され得る、と確信しているからです。

(中略)

トーマス・アーノルドはつぎのような問題を提起しました。 「子どもから大人への変容過程は、子どもの身体的・知的能力を破壊する恐れなしに短縮することができるか」という問題です。彼は長い間この問題に悩みました。 彼は、すべての少年が危ない時期を経験しなければならないことをよく知っていました。そして、《パブリックスクール》がこの時期を早める利益があることも納得しておりました。 彼の考えでは、精神が肉体より先んずることほど悪いことはないのです。知性はみずから発達するので、これを包み込みその拡張に抵抗する力を持つ大きな包みを見出さなければなりません。 肉体はすでに大人であっても子どもは子どもでなけれはなりません。つまり、悪い本能や情念に苛まれるこの子どもを、早く道徳的・身体的に大人にしてやらねばならないのです。 子どもに筋肉と《早熟な》意志とを与えなければなりません。アーノルドはこれを《真の男らしさ》と呼んでいます。 私的発意、大胆、決断、自分を頼りとする習慣、失敗に挫けず自分に対して挑戦する習慣、これらすべての資質はひとりでに身につくものではありません。 またこれらの資質は、幼児期から陶冶すべきものであって、科学的知識などを若い頭脳に注ぎ込もうと四苦八苦するより大切なことです。

(中略)

彼らは皆、品行の高さに満足の意を示し、つぎのように明言しています。 その原因はスポーツにあり、スポーツの役割は感覚を和らげ想像力を眠らせ腐敗を抑止し、腐敗の生じるところでは、それを孤立させ露呈されないようにする。そして、本性をして腐敗と戦うために武装させる。彼らはそう明言しています。

(中略)

私としては、身体訓練に優れる者は勉強でも優れる者だ、ということを指摘してきました。 ひとつの点で有力であることは、どんなことにも一等であろうとさせるのです。勝利の習慣づけほど克服ということに役立つことは他にありません。 そして最後に、そうであるとするなら、残念ながら多くのイギリス人は言うでしょう。彼らは、知的修復は可能であるが道徳的修復は不可能であると考えます。したがって、知識教育は道徳に席を譲らなければならないのです。

徳育としての体育の意義を最もよく理解したクーベルタンは、イギリス訪問から13年後(1896年)、オリンピックを創り、嘉納はこのクーベルタンが始めたオリンピック事業に協力することになる。

嘉納の体験

それでは、嘉納は、どのようなきっかけで徳育としての体育の意義を発見したのだろうか。嘉納は柔術の稽古の効果について次のようにいう。

それに自分はかつては非常な癇癪持ちで容易に激するたちであったが、柔術のため身体の健康が増進するにつれて、精神状態も非常に落ちついてきて、自制的精神の力が著しく強くなって来たことを自覚するに至った。

おそらく、嘉納の徳育としての体育は、この「身体の健康が増進」したら「精神状態が非常に落ちついてきて、自制的精神が著しく強くなって来た」という嘉納の実体験がもとになっているのだろう。

脳の研究

そして近年、この嘉納の実体験、そして徳育としての体育のメカニズム、すなわち、何故、「身体の健康の増進」が「自制的精神が著しく強くなってきた」ということにつながるのか、という点が、脳の研究が進むについて、明らかになりつつがある。次回は、脳と運動についての研究をみていきたい。

※本記事は、2010年8月から酒井重義(judo3.0)によってブログで連載された研究論考「勇者出処~嘉納治五郎の柔道と教育」の再掲です。

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